熊切監督“3度目の正直”でパリ留学
映画「海炭市叙景」(2010年)で知られる熊切和嘉監督がこのほど、文化庁が行っている平成26年度新進芸術家海外研修制度の研修員に選ばれ、今年12月からフランス・パリに留学する。熊切監督は、現在公開中の映画「私の男」も好評と、まさに脂が乗っている時期だが、なぜ約1年の人生修業の旅に出るのか?熊切監督に本音を聞いた。
“3度目の正直”だ。熊切監督が同制度に応募すること3回。今回、ようやくつかんだ切符だったという。
「本当は、映画『莫逆家族 バクギャクファミーリア』(12年)の後に(海外へ)行きたかったんですけどね。毎回、面接と撮影日が重なってしまって(申請を)辞退することに。2回目の時も、ちょうど映画『私の男』の撮影中で、(劇中で重要な)流氷が来るというのでダメになったんですよ」
そんなに以前から計画をしていたとは意外だった。3年前といえばちょうど、北海道・函館市を中心に地元の方たちの熱意で製作した映画「海炭市叙景」が高評価を受け、キネマ旬報ベストテン第9位ほか、フィリピン・シネマニラ国際映画祭ではグランプリと最優秀俳優賞を受賞するなど国内外で話題になっていた頃だ。おそらくその後、オファーが多数舞い込んだと思われるが、熊切監督自身にとってはこれが転機になったようだ。
「映画監督になって15年ぐらい経つけど、今まで何となく決められた予算やスケジュールや、政治絡みのキャスティングで“仕事で映画を創るというのはこういう事だ”とやって来た。でもその一方で、もっと時間を掛けて、悩みながら撮りたいという思いがあったんです。そんな時に『海炭市叙景』の企画があって、自分では勝負だと思いました。本当に、周囲の当初の反応は“撮りたければ撮れば?”みたいな空気の中で始まって、製作中も“予算がないのならこのエピソードを切れば?”みたいな事を言われて、クソーっ!という気持ちの中で撮っていたんです。でも、そうして少ない予算で、地元の方を起用しながら作り上げたものが、結果的に評価していただいた。自分はこういう映画の作り方の方が向いているなと実感したんです。“どこでも撮ろうと思えば撮れるんだ”という自信にも繋がりましたね」
そう、熊切作品の魅力といえば、そこはかと感じるこの自主映画スピリットだ。そもそもデビューは、大阪芸術大学映像学科の卒業制作「鬼畜大宴会」で、これが連合赤軍事件を彷彿とさせるような学生左翼組織のメンバーが大惨劇を繰り広げる衝撃作。学生映画とは思えないクオリティの高さと容赦ない残酷描写が今も語り継がれているが、その研ぎすまされたナイフのような冷徹さを感じる映像描写は今も変わらない。その後、「アンテナ」(03年)や「青春☆金属バット」(06年)など、商業映画の場で順調にキャリアを重ねて来たが、どこか職業監督としての道のりに違和感を感じていたという。
「う~ん、なんというのか…。(学生時代からのスタッフで『私の男』でも撮影を担当した)近藤龍人君とも話していたんだけど、学生の頃作っていた時は、映画ってもっと自由度があると思っていたんです。それが、どんどん狭まってきたようにも感じます。それに日本で仕事を続けていくと、いずれは大手映画会社で撮るように皆、なっていくじゃないですか。その流れに乗るのも面白くないし、そもそも僕は流派が違うし(苦笑)」
研修先が、熊切監督の作風からは想像もつかないパリというのも意外だが、実は接点があった。熊切監督は、フランスのレオス・カラックス監督が日本で撮影したオムニバス映画「TOKYO!〈メルド〉」(08年)にメイキングスタッフとして参加しているのだ。同作品は韓国のポン・ジュノ、フランスのミシェル・ゴンドリーと気鋭監督3人によるプロジェクトで、彼らが慣れぬ土地で日本人スタッフと撮ることは大なり小なりトラブルがあった。
中でもカラックス監督の現場は、撮影監督のキャロリーヌ・シャンプティエとの罵倒など、さすがの筆者も自主規制するエピソードが満載。そんな殺伐とした現場で、熊切監督が一人、ニコニコしながらカメラを回していたのが印象的だった。「カラックス監督が悩みまくっていて、全然(撮影を)決められないんです。日本の現場だと時間もないし、監督は迷ってはいけないという雰囲気があるけど、こんなに監督は悩んでいいんだ!僕だって悩みたいよ!と覚醒する思いだったんです。その後、撮った『ノン子36歳(家事手伝い)』(08年)から悩み出しています(笑)」
この時培った人脈が、パリへと熊切監督を導いたようだが、「TOKYO!〈メルド〉」の主演男優だったドニ・ラヴァンを起用した新作構想もあるという。「でも、まずは勉強したいという思いがあります。日本で仕事をしていると、じっくり映画を観る時間がどんどん減っているので、普通にシネマテークに通いたい」
熊切監督は今年9月で40歳を迎える。孔子は「四十而不惑」と述べたが…、惑う時間も人生には必要なのだ。(映画ジャーナリスト・中山治美)