学生たちが上映する東北復興
東日本大震災の被害にあった福島、宮城、岩手の中高校生が、自身の生活や地域と向き合ったドキュメンタリー映画「東北復興祭〈環 WA〉in PARIS~こどもたちが見つめた死・再生・未来~』の上映会がこのほど、都内で行われた。主催は「こどもたちが見つめた死・再生・未来上映会実行委員会」のメンバーで、現役大学生が中心だ。委員長の池田笙さん(成蹊大学1年・19歳)が語る。「本作の上映活動やDVD販売で得た資金で、次のOECD東北スクールを作りたいんです」。
OECD東北スクールとは、経済協力開発機構(OEDC)と文部科学省、福島大学が協力して2011年4月に立ち上げた復興の担い手を育てる教育プログラムだ。参加メンバーは福島、宮城、岩手の中高校生約100人。彼らに与えられた使命は「2014年、パリから世界へ東北の魅力をアピールすること」。活動は12年3月にスタートし、5回に渡る集中スクールや地域ごとに集まって地域復興の企画を考えながら、14年8月30日、31日にパリで開催された東北復興祭に向けての活動を行った。映画は、8本の短編セルフドキュメンタリーに、2年半の活動の記録、そして復興祭の模様を加えたものだ。製作をサポートした映像制作会社「テレビマンユニオン」の梛木泰西プロデューサーが説明する。「彼らには一人称で自分の言葉で語るようにと事前に伝えました。セルフドキュメンタリーの良さは、愛情が映っていること」。
映画を観て、確かに…とうなった。いわき市の佐藤洸希さん(福島県立湯本高校3年、18歳)は、魚店を営む祖父にカメラを向けた。福島第一原発事故の影響を受け、商売上がったりとなってしまった祖父を心配する気持ちが、そうさせたのだろう。福島県伊達市の中学生は、風評被害を受けた果物農家の為に立ち上がり、JA農協と協力して「伊達の恵ゼリー」と題した果汁100%ゼリーを商品開発した軌跡を描いていた。二本松市の女子高校生は、放射能について勉強したいと自然科学部に入部。その結果、再生可能エネルギーの重要性を知り、地元の温泉熱を利用した実験を仲間たちと行った。そこには誰もが愛する故郷の為、身近にいる誰かの為に「自分は何が出来るのだろう?」と真摯に向き合った姿が映っていた。
上映会時、彼らの活動報告が掲載されたパンフレットが配布されたのだが、その内容がまた秀逸だ。
「OECD東北スクールで学んだこと」として、
-被災者が被災者のままでいてはいけない。自立しなければならないということ。
-じっと机に向かって考えていないで、動いて考えること。
-現実社会には答のない問題ばかりで、それにチャレンジしなければならないこと。
など、自分が高校時代、こんな達観した考えを持てただろうか。
先に述べた池田さんも、OECD東北スクールで濃密な高校生活を過ごした一人だ。池田さんは東京在住で、被災者ではない。しかしエンパワーメントパートナー(応援団)として参加。奇しくもこの活動で初めて東北に行った日に、震度4の地震を体感。瓦礫の残る街を歩き、遺体が発見された場所の印を目にして多くの命がここで亡くなったことを実感したという。「自分だったらどうしていただろう?と考えるようになり、(震災は)他人事だと思わなくなりました」と池田さん。
しかし何より苦労したのが、復興祭の企画から資金調達まですべて自分たちで考えて実行しなければならなかったことだという。高校生ながら企業の門を叩き、スポンサー協力を依頼するなど社会人さながらの経験も積んだ。だがそれが自信となり、今の活動の原動力となっていることは間違いない。
OECD東北スクールは復興祭を終えて修了となったが、池田さんをはじめとする有志で実行委員会を結成し、本作の上映活動を続けていくという。もちろんそこには、「震災を風化させたくない」という強い思いもある。
彼らだけではない。被災地を訪れる度に実感するのは、将来の夢を尋ねるとほとんどの子供たちが「地元の為に何かをしたい」と答えることだ。悲劇はあった。しかし頼もしき復興の担い手が確実に育っていることを実感する。あとはその意欲を、大人たちがどのように伸ばしていくべきか。そのヒントが、本作やOECD東北スクールにあるように思うのだ。
上映の問い合わせなどは下記HPで。http://shisaiseimirai.jimdo.com/about-us/死-再生-未来上映会実行委員会/