甲子園に出場した台湾代表の軌跡描く

 昨年の第9回大阪アジアン映画祭での熱狂的なスタンディング・オベーションから約1年…。1931年に台湾代表として甲子園出場を果たした嘉義農林学校の軌跡を描いた映画「KANO 1931 海の向こうの甲子園」(マー・ジーシアン監督)が1月24日に日本公開される。

 日本人・台湾人・台湾原住民の混成チームによる快進撃は、当時も日台の国民を沸かせたという。民族を超えて友情を育むという「希望の苗」を植えた彼らの勇姿は、今のきな臭い社会情勢を一考するきっかけを、我々に与えてくれそうだ。

 本作を語る上で欠かせない人物がいる。プロデューサー&脚本のウェイ・ダーションだ。彼は、長編監督デビュー作「海角七号/君想う、国境の南」(2008年)で戦争によって離れ離れとなった日本人教師と台湾人女性の悲恋を、続く「セデック・バレ」は1930年に起こった抗日暴動・霧社事件の真実に迫った。今回は、自身は野球に疎いことから、少年野球の経験があり、台湾原住民でもあるマーに監督に委ねたが、いわばウェイの日台史3部作である。

 嘉義農林学校の実話は、「セデック・バレ」の準備中にテレビ局の資料室で見つけたという。それだけに衝撃が大きかったようだ。なにせ霧社事件で台湾原住民は130人以上の日本人を殺害し、「野蛮」というイメージが広く定着していた。それがわずか1年後に、壮絶な殺りく戦を演じた民族が一つのチームとなって甲子園に現れたのだから。劇中でも、日本の新聞記者が執拗に台湾原住民の選手に対して「野蛮人」という言葉を使って、不快な質問を投げかける場面が何度かあるが、そういう歴史的背景が本作には潜んでいるのである。

 しかし日本が内向きな社会になっているように、台湾でも本作が公開された時には「日本人を友好的に描き過ぎではないか?」という批判も、一部にはあった。しかしウェイ監督は「我々は当時の事を美化していない。悪意を持って描いていないだけだ」と一蹴したという。

 前作でも感じた事だが、ウェイのこの、信念の固さと、目標を実現させるための突破力には感嘆の声すらあげてしまう。大規模なロケセットを組んだ「セデック・バレ」は資金難に陥り、製作中止の危機もあったそうだが、監督自ら金策に駆け回ったという。「KANO」も野球シーンに説得力を持たせなければ作る意味がないと、台湾・高雄に甲子園をまるまる建設。野球部員役の俳優は、演技力よりも経験者を優先した。エースの呉明捷役のツァオ・ヨウニンは、14年の台湾全島大学野球選手権優勝校・輔仁大学野球部に所属する実力派だ。

 もっとも今回も、撮影は当初3カ月の予定だったが、悪天も重なり6カ月と大幅にオーバー。それでも台湾で興行収入10億円を突破するヒットとなり、約7億円と言われている製作費も無事に回収できたようだ。ウェイは「今回も、製作費の3分の2は借金なので、プラスマイナス0です」と謙遜するが。

 ちなみに現在、嘉義農林高校は国立嘉義大学となり台湾・嘉義市の自然に囲まれた中にキャンパスがある。ええ、映画に感動して、昨年夏に一人訪問してしまいましたよ。大学名から「農林」の文字は消えたが、いまも台湾の農業の発展において優秀な人材を育成しているようで、敷地内には牧場や台湾原生薬用植物生態園、昆虫館もある。野球をはじめとするスポーツも盛んだ。そして中央には、甲子園で準優勝を果たした記念碑が誇らしげに立っていた。そこには、混成チームを率いた近藤兵太郎をはじめとする野球部員全員の名前が…。家業の農業を手伝いながら野球に汗水を流した嘉農精神がこの地に受け継がれているようで、なんだか一人でジ~ンと感慨にふけってしまった。

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