“再開発”に揺れる「シモキタ」映画
街を貫く道路計画と小田急線地下化に伴う再開発問題で揺れる、東京のサブカルチャー文化の発信地・シモキタこと、下北沢の10年に渡る街の変遷を捉えたドキュメンタリー映画『下北沢で生きる』(斎藤真由美監督)が2月21日より東京・下北沢トリウッドで公開される。
同作を製作した市民団体「SHIMOKITA VOICE」の実行委員長で、ジャズバー「LADY JANE」のオーナー・大木雄高さんが語る。「この映画には、愛すべき街・シモキタへの思いと同様に、憎しみもいっぱい入っている」という。
シモキタの都市開発は、2004年から着工した小田急電鉄下北沢駅地下化工事から始まった。それに伴い本格化したのが、1946年の戦災復興計画の一部であった「補助54号線」と「区画街路10号線」の都市計画事業。それはシモキタの街全体を変えてしまう大工事。
だが、住民にとってはにわかに表面化した道路事業は寝耳に水の状態で、大木さんたちは計画の見直しを訴えて、05年暮れ、510店の参加を得て「下北沢商業者協議会」を立ち上げ、翌06年1月、区庁舎へのサウンド・デモで抗議活動を開始。07年に同協議会を中心に「SHIMOKITA VOICE」を立ち上げ、年に一度、様々な分野の方を招いてのシンポジウムやライブイベントを開催し、広く、シモキタの未来について語り合う場を設けてきた。
映画は「SHIMOKITA VOICE」の活動を中心に、商店主や住民などにもインタビューしている。
筆者自身、シモキタは舞台観劇と行きつけの美容室があるので頻繁に訪れる街。名所とも言える駅北口の「驛前食品市場」が、行政に買収されて閑散としていく様に一抹の寂しさを感じていた。
だが、戦後の闇市がいまだに残っていることに「不便だし、本来ならあっちゃけいない。街はその時代と共に変わるもの」と語る店主の言葉に、よその者の勝手な論理でシモキタを見ていたなとハッとさせられた。それでも現在の、高いフェンスに覆われた工事現場だらけの街は見るも無残。夜中も行われている工事音で、生活がままならない住民の苦悩も本作で知った。
これらの映像はあくまで記録用に撮影していたもので、当初は映画化する予定はなかったという。
14年に「SHIMOKITA VOICE」で上映したのだが、今回の劇場公開に至った理由について、大木さんが明かす。「これまで活動をしていて、身内でやっている問題という感じで周りの反応が鈍い。シモキタは都市の宿命で、住民になってもすぐに去って行ってしまう人も多く、無関心な人も多い。正直、映画のレベル的にはイマイチかもしれないが、劇場公開することで、議論に広がりをもたせたかった」。
その言葉通りに公開中は、シモキタ在住の女優・広田レオナさんや、劇中でも書き下ろしエッセイ「歩くことで」を朗読している作家・よしもとばななさんらを招いてのトークイベントや、「SHIMOKITA VOICE」実行委員の案内によるシモキタのガイドツアーの実施。
さらには地価が高騰し、個性的で味のある個人店舗がどんどん減少していく傾向を憂いて、上映劇場・下北沢トリウッドの大槻貴宏代表による「シモキタでのお店のはじめかた」と題した講義も用意されている。
世田谷区では4月26日に、区長選挙を控えている。劇中でも刻銘に記録されているが、現区長の保坂展人氏は、下北沢の再開発事業に深い関心を寄せ、住民の声が反映されていないことを訴えて11年に区長に当選。行政のトップとしては異例だが、「SHIMOKITA VOICE」のシンポジウムにも参加してきた。そこで住民参加の討論の場を設けることを約束したが、一切不履行にしたばかりか、なんと本年度3月末に期限切れ予定だった補助54号線と駅前ロータリー事業の認可期限の延長を東京都に申請した。
さらに、小田急線や東京都、世田谷区などで協議した、小田急線線路跡地の施設配置(ゾーイング構想)の整備も今年から本格的開始。小田急線地下化の第2期工事も、あと5年間もある。本当にこのまま変わりゆくまちを傍観していていいのか?大木さんたちは選挙を前に、改めて住民に問いたいという狙いがあるようだ。
それにしても…と、改めて思う。
沖縄の基地問題しかり、原発再稼働問題しかり、新国立競技場建設問題しかり、なぜに日本の公共事業は秘密裏に行われ、住民の声が届かないのかと。アムステルダム国立美術館の新設計を巡って、住民と美術館側がとことん話し合ったドキュメンタリー映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」を見ると、うらやましくてしょうがない。
そして悲しいかな。そうした事業は必ず住民間の対立をも生む。シモキタの例は、他人事ではないのである。(映画ジャーナリスト・中山治美)