76歳の新人監督は巨匠・岡本喜八夫人
映画「肉弾」(1968年)や「大誘拐」(91年)などで知られる故・岡本喜八監督夫人であり、プロデューサーとしても支えてきた岡本みね子さんが、旧姓の中みね子として映画「ゆずり葉の頃」(5月23日公開)で監督デビューした。今年は、喜八監督の没後10年。再び映画の世界に、しかも76歳の新人監督として戻ってきた中監督は、日本映画界の変容をどのように感じているのか?お話を伺った。
映画というのは本当に不思議な魅力を放っており、その魔力に取り憑(つ)かれると、なかなか足抜けは難しい。みね子監督も間違いなくその一人だ。
喜八監督と言えば、東宝の社員監督として「独立愚連隊」(59年)や「江分利満氏の優雅な生活」(63年)など秀作を多数生み出し、日本映画界黄金期を支えた人物である。しかし東宝退社後の75年に喜八プロダションを立ち上げて自主製作に挑むが、常に金銭面の苦難が伴い、自宅を抵当に入れての資金捻出など、みね子夫人が奔走した伝説は枚挙にいとまがない。なのに、今度は自らが監督として足を踏み入れてしまった。しかも企画・製作・脚本と手掛けており、フル稼働。
「映画の興行は、それは厳しい。決して甘くはない。それに、監督がお金(製作費)のことを考えながら撮るのは、あまりいいことじゃないわね。でもね、喜八さんも、その師匠だった谷口千吉監督も、(谷口監督夫人の)八千草薫さんの主演映画を一本も撮らなかった。よく八千草さんと2人で『あの人たちじゃ、女性は撮れないわよ』と話していたのだけど、だったら私たちで撮ってやりましょうよ!となったのよ」(みね子監督)。
製作費を集める為に必要なのが企画書であり、脚本だ。みね子監督はもともと脚本家を目指して勉強していたこともあり、お手の物かと思っていた。しかし、この数十年の日本映画界を取り巻く変化の中で、同様に脚本の書き方も大きく変化したのだという。
「今回、執筆することになって周囲からアドバイスを言われたのだけど、あまりにも変わったから驚いちゃった。私が学んだ頃は『脚本は映画の設計図だから、あまりごちょごちょ書くな』と。例えばト書きで“●●の繁華街”とか特定の場所は書かずに、“少しうらぶれた…”とかね。場所をどこにするのかは監督が決めることであり、むしろ脚本は監督に刺激を与えたり、どんな役者さんが来てもその(脚本家が意図する)方向へ行くような根っこを書け!と言われたものです。でも今は、製作助成制度『文化庁文化芸術振興費補助金』の申請を堤出するにしても、企業から出資を募るにしても、そのうちの半分ぐらいは日頃、脚本を読む機会のない方たちでしょう。だからその方にも分かるように、読み物としても楽しめ、映像がイメージ出来るような脚本じゃないとお金が集まらない。でも、そう思って脚本を書きなおそうと思ったら、考えすぎちゃって書けなくなっちゃったの」(みね子ママ)。
それでも、キャラクターたちのセリフを意識的に長く書いて状況を説明させるなどの技を駆使した結果、無事に平成25年度の文化庁文化芸術振興費補助費の助成対象作品として採択され、1000万円の助成を獲得。このお金などもあって、なんとかクランクインに漕ぎ着けたという。
「でも助成金が実際に下りるのは、映画完成後でしょう。撮影現場は常に現金が必要なんです。お金がないからセリフもバンバンと切って、いろいろと工夫をしましたよ」
それが百戦錬磨の、みね子プロデューサーの腕の見せどころである。さらに喜八監督と二人三脚で歩んできた時に培った人脈を生かし、仲代達矢、岸部一徳、風間トオルら俳優陣のみならず、音楽に山下洋輔など喜八組の面々を総動員。軽井沢を舞台に、主人公・市子(八千草)が封印してきた幼い頃の淡い思い出と戦争の記憶をたどる大人のロードムービーが誕生した。
大御所に大変失礼な表現かもしれないが、なんといっても八千草さんがかわいい。
「でしょ!?一緒にいても良い女なのよ。彼女は日本女性がたくさん持っていたはずの良さを、ずっと持ちこたえてきた稀有な女優さん。私が男だったら、離さないわね。本当に谷口先生の気持ちが良く分かるわ」(みね子監督)
映画界の厳しさを知る、みね子監督なので、次回作は?の問いに、軽々しく「次も作ります」なんてことは言わない。でも、野望はあるようだ。
「映画って何だろう?ってよく考えるの。今は技術が発達したから五感に訴える映画がたくさんあって、出来が本当に素晴らしい。私たちがやってきた時代は、もう終わりじゃないかな。でもね、良い意味で貧乏で良かったとも思っているの。機材も美術も、いろんなものが足りなかったけど、皆で一生懸命作った情熱や空気が映画に出てるじゃない。今回の映画もある意味、素朴なものを作っちゃったなと思うけど、それがこの映画に魅力でもあると思うのよ」(みね子監督)
はい!そして、みね子監督の作品を、きっと喜八監督も天から眺めつつ、「ふふふっ」と笑いながら拍手を贈ってくれるでしょう。
(中山治美)