実直でアツい!小熊英二監督デビュー作
歴史社会学者・小熊英二氏がドキュメンタリー映画『首相官邸の前で』で、映像監督デビューを果たした。9月19日(土)より公開される東京・渋谷アップリンクでは、連日10時30分の上映回では観客同士で映画の感想などを語り合う“トークシェア”の時間を設け、隔週水曜日には小熊監督などゲストも参加するという。小熊氏は「ネットで動画配信したとしても、1人で見てブログに書いて終わってしまう。こうして皆で意見を交わして、話し合うことが大事。“経験”して欲しい」と、新たな試みに期待を寄せている。
同作は、2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原発事故以降、各所で広がった政府の原発政策に抗議する人々のうねりを時系列を追ってまとめたものだ。柱となるのは、福島第一原子力発電所から1・5キロの距離に住んでいた主婦や、小売店販売員などフツーの人たちから運動の中心となったアクティヴィストたちが、なぜ行動を起こしたのか?を小熊氏のインタビューによって回想するというもの。そこに、同じく一般市民が撮影した当時の映像が適時挿入され、作品をより立体的に、生々しくしていく。
出演者は、小熊氏自ら慣例となった毎週金曜日の首相官邸前デモに赴き、直接、出演交渉した方々だという。そして使用されている映像も、ネット上にあふれかえっている膨大な量の中からピックアップし、一つ一つ撮影者にコンタクトをとって許諾を得たものだ。
結果、当初の編集では7時間にも及ぶ大作になったとか。そこから編集を重ね、さらに『A』(1998年)など数々の傑作ドキュメンタリーのプロデュースを手がけた安岡卓治氏らのアドバイスを経て、約2年間の社会運動の動きを109分に凝縮。実に見応えのある作品に仕上がった。
去る8月19日にアップリンクで行われた、小熊氏のアフター・トーク付きのプレミア上映に参加した。会場は大学生から年配者まで幅広い年齢層でぎっしり。その観客の前に登場した小熊監督は、いきなり観客に“対話”を呼びかけた。「どんな質問にも答えますよ。今から3分、時間を取ります。何を質問したいか?周囲の席の人と話し合って決めて下さい」
一瞬、ざわつく会場。しかし話し合いの結果出た質問は、社会学者が映画を撮った経緯から、本作を劇場公開する目的。さらには大手メディアがなぜデモを報道しないのか?という疑問まで、多義に渡る内容が時間制限いっぱいに投げかけられた。こうしたテーマの作品に興味を頂いて劇場に足を運んだ問題意識の高い方たちが多いとはいえ、通常の映画のマスコミ会見だって、こうは積極的に質問の手は挙がらない。観客が映画に触発され、何かを語りたくなってしまう作品なのだろう。
そもそも小熊氏自身も、官邸前に集まった人たちの熱に突き動かされて「これを記録しなければ」と本作を作ったという。この日も小熊氏は繰り返し観客に訴えた。
「(劇中で使用した)デモの映像に関して言えば、ああして人が本気で怒っている姿を見た方がいいですよ。心が洗われる。健康に良い。本当にそう思います。あなたもデモに参加したら仲間たちとだけではなく、隣になった人と話してみようと思いませんか?そうやってますか?話してみたら、そこから議論が起こるんです」
「香港の雨傘革命も台湾の学生立法院占拠事件も首相官邸前のデモも、(政府に異議を唱えようと)やっていることは変わらないんです。ただ何か事が起こる度に首相官邸前に集まるという形態を日本は2012年に形成し、しかも(当時の)野田佳彦首相に直談判するまでに至ったというのは世界でも類はない。その形式が受け継がれ、今に繋がっているんです」
その言葉通り、8月30日に国会周辺で行われた安保法案反対デモは約12万人が参加するという大きな運動へと発展した。さらにこのうねりは地方へと広がり、各地で親子や高齢者まで列を作ってデモ行進している。本作は、その原点を記録した映像資料としても貴重だ。
何より筆者は、映画を見て小熊氏の印象が変わった。文章を読む限り、小難しい人と実はかなり敬遠していたのだが(苦笑)、映画は実にストレートで実直、かつアツい。本作は10月8日~15日に開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭2015でも上映されるので、またそこでどんな“トークシェア”が行われるのか楽しみだ。(映画ジャーナリスト・中山治美)