認知症と介護の捉え方を変える一本

 認知症の脳回路は不思議だ。娘の事を認識していたと思ったら、次の瞬間には赤の他人として接してくる。それに応える娘…。あたかも2人で即興劇を演じているかのようだ。そんな母娘の日常を、定点観察するように撮ったドキュメンタリー映画『徘徊 ママリン87歳の夏』が新宿K`s cinemaほかで公開中だ。田中幸夫監督は、あえて認知症関連の書籍を読まずに撮影に挑み「あくまで母と娘の関係性を描く。人が前向きに生きざるをえなくなった時、人間はどのように覚悟するのか。そういう視点で撮った」と語る。

 主人公は、大阪の金融街・北浜でギャラリー経営と編集プロダクションを主宰している酒井章子さん(55)。認知症になった母・アサヨさん(撮影当時87歳)を奈良から引き取り、同居生活は6年に及ぶ。その様子は、章子さんが2010年から綴っているブログ「ボケリン・ママリンの観察日記」で読んだ人も多いだろう。

 田中監督は章子さんと、トランスジェンダーなどのセクシャルマイノリティーを追ったドキュメンタリー映画『ITECHO 凍蝶圖鑑』の取材時に出会った。その際、章子さんから「お母ちゃんの面白さを文章で伝えるのは難しい。映画にならへん?」と相談を受け、カメラを回すことを決めたという。

 「章子さんからアサヨさんが日常的に徘徊している事を聞いていたので、約2カ月の間で、1泊2日とか、2泊3日のペースで撮りました。他人がいると無意識に装うことがあるけど、それも非連続。僕に『あっこちゃんのご主人?』とか、撮影助手に『あんた警察?』と聞いていたこともありましたね」(田中監督)。

 映画は77分。だが、映画では描かれていない、2人がこれまで培ってきた歳月を考えずにはいられないだろう。アサヨさんの戯言を、時に首にタオルを巻いてビールを飲みながら、時にパソコンでゲームをしながら軽く聞き流す章子さんの対応は、横柄に見えるかもしれない。しかし、それも作戦の一つ。そしてアサヨさんの徘徊が始まると、すでに行動パターンを把握している章子さんは絶妙なタイミングでサポートしていく。

 「最初の2年はしんどかったでしょうね。それが何とか前向きになった時に徘徊時間や距離などのデータをとるようになって、自分なりの傾向と対策を練る。いつかは本にしてやるぞ!と思いながらね(笑)。でも、ざっくりとした傾向と対策しか分からないわけです。ならばどう対処するのか?パソコンでゲームをしながら適当に聞いているフリをするというテクニックを身につけた。じゃないと、自分が壊れちゃいますよね」(田中監督)。

 同時に本作は、地域コミュニケーションの在り方をも提示している。徘徊が日常となっている章子さんを、交番のお巡りさんや喫茶店のマスターらがそっと手を差し伸べ、母娘をサポートする。実はアサヨさんが奈良に住んでいた時、徘徊に関してご近所から苦情が入り、章子さんが引き取った経緯がある。田中監督は前作『ITECHO 凍蝶圖鑑』でも多様性ある社会を提示したが、今回も、認知症の人を目の前にして、そして介護で助けを必要としている人を前にして、我々はどのように対応すべきかを問うているかのようだ。

 「それは社会の問題ですよね。章子さんも、最初は恥ずかしかったと思いますよ。でも、隠していたってしょうがない。これぐらいが日常ですよーと、知らしめていくことで地域が受け入れていった。皆さんの善意もありますが、ちょっと目の前で不自由にしている人がいたら手を貸してあげませんか?ぐらいの好意を、周囲から引っ張りだした。それが彼女の戦略だと思うし、当事者にとっては、これほどありがたいことはないと思います。2人を支えると言っても、負担になるような支え方じゃない。ちょっと席を譲るくらい。それだけでも社会は変わる」(田中監督)。

 アサヨさんは先頃、88歳を迎えた。体力の衰えと共に徘徊も少なくなり、家にいる時間も長くなってきているという。

 チラシに書かれている一文が胸に刺さる。

 「認知症だって、一生に一回のママリンの老後」。

 認知症と介護の捉え方を変える1本である。(映画ジャーナリスト・中山治美)

関連ニュース

編集者のオススメ記事

主要ニュース

ランキング(芸能)

話題の写真ランキング

デイリーおすすめアイテム

写真

リアルタイムランキング

注目トピックス