サンセバスチャンで見た映画界の現実
海外の映画祭へ行くと、特集企画にハッとさせられる事がある。先ごろスペインのバスク地方で開催された第63回サンセバスチャン国際映画祭では、「ニュージャパニーズ・インディペンデント・シネマ2000-2015」と題し、00年以降に製作された自主映画35本を紹介。順を追って見ると、日本社会の変容がくっきりと見えてきたのだった。
同映画祭ではこれまで、日本映画の黄金期を担った成瀬巳喜男監督特集(1998年)、映画斜陽時代に監督たちが腕を振るった東映Vシネマなどのオリジナルビデオ作品にも着目した日本のフィルム・ノワール特集(08年)、松竹ヌーヴェルバーグの代表である大島渚監督特集(13年)と、独自の視点で日本映画界の流れを切り取ってきた。
そして今回はいわゆる自主映画。“ニュー”と付いているのは、塚本晋也監督や園子温監督らを輩出したぴあフィルムフェスティバルが若手映画監督の登竜門となっていた80年代~90年代の8ミリ世代その後…という意味。デジタルカメラの登場で製作費を抑えることが出来るようになり、志ある者のチャレンジ精神あふれた大作や、大学の映像学科出身の監督が増えたことも特徴だ。
海外からはよく、今の日本映画は漫画やベストセラー小説を原作にした作品ばかりでオリジナルが少ないと指摘される。だが今回の企画は、「ちょっと待った!“自主映画”と呼ばれる低予算映画の中には、映像作家の個性が光る面白い映画があるのですよ」というサンセバスチャン国際映画祭の反論であり、日本の映画人への応援と受け取った。
主な上映作品は、セックスレス夫婦がストーカーの登場で互いを見つめ直す、塚本晋也監督『六月の蛇』(02年)、都会で働く女性の孤独な心の叫びを描いた廣木隆一監督『ヴァイブレータ』(03年)、実際に起こったカルト教団事件をヒントにした塩田明彦監督『カナリア』(04年)と園子温監督『愛のむきだし』(08年)、イラクで起こった日本人人質事件でバッシングをされた女性を主人公にした小林政広監督『バッシング』(05年)。そして東日本大震災後の日本を写したドキュメンタリー映画『無人地帯』(12年)や船橋淳監督『桜並木の満開の下に』(12年)、篠崎誠監督『SHARING』(14年)など。
00年代以降に誕生した自主映画の多くが、経済破綻や就職難の影響もあって、殺伐とした社会の中で悶々と悩む、監督たちの内面を写し出したような陰鬱な作品ばかりだ。
描いている世界があまりにも狭いことから、よく“半径5ミリ以内のことしか描いていない”とよく批判された。こうした作品が劇場公開されると会場は身内ばかり。これまた狭い世界だけで評価を受けて満足しているなと、私自身も、この15年間の自主映画に対して、あまり良い印象はなかった。
だが、市山氏の的を得たセレクションも手伝って、各々が悩みながらも時代とちゃんと向き合って製作していたのだなと認識を改めた。ふらっと夜中の上映に入り、地元の観客でほぼ満席状態という中で見たタナダユキ監督『ふがいない僕は空を見た』(12年)は特に感慨深かった。窪美澄の同名小説が原作で、人妻との不倫を公表されたり、祖母の介護に貧困などままならぬ人生を送っている人たちによる群像劇。東日本大震災後に製作され、「それでも命ある限り精一杯生きようよ」というタナダ監督のメッセージが伝わってくるような作品だった。そんな公開当時見たときの、暗たんたる気持ちになっていた自分の感情まで甦ってきて、涙腺が緩んだ。
ただ残念なことが一つ。これは国際映画祭で良く耳にする話なのだが、上映料が高額で、映画祭の限られた予算枠では上映を断念した作品もあるらしい。国際映画祭の意義を良く理解できていない、ゆえに有効に活用できていない会社にありがちなのだが。企業にとっては収益をあげなければならないことは分かる。しかし映画監督、特に若手にとっては将来に関わる問題である。作品の出来が良いからと言って、いきなりカンヌ国際映画祭を狙っても、監督に国際的な知名度がなければそう簡単には選ばれない。今回のようなチャンスを生かして、ステップアップしていくことがいかに大事か。三池崇史監督や園子温監督の例を見れば明快のはずだ。
実際、今回の上映でチケットが完売していたのは、まだ海外での認知度が低い若手の作品ばかり。業界関係者及び映画ファンは、こういう場で、未来の巨匠を探しに来ているのですゾ!と、強く言いたい。(映画ジャーナリスト・中山治美)