市川月乃助さん新派入団、小躍りする私
「春で、朧で、御縁日~一緒に参る西河岸の、お地蔵様が縁結び」
泉鏡花『日本橋』の名台詞、平成23年初春新派公演では私が務めました。そして、その相手役が市川段治郎さん、いまの月乃助さんです。初めての新派、でも全く違和感なくお芝居ができました。これ程新派に合う方はいないと思い、「新派にいらしてください!」と打ち上げで申し上げましたところ、すっかり酔ってらしたようで、「出られる時は出ます」とつれないお返事(笑)。それから4年、嬉しいお報せをいただき、小躍りしました。月乃助さんが新派に入団してくださることになりました。
なにより御礼申し上げたいのは、猿翁のおにいさま。一般のご家庭から国立劇場の歌舞伎俳優研修所に入られた月乃助さんをスーパー歌舞伎で主演されるまで育てられた上、よくこれだけ素晴らしい方を、息子のように可愛がってこられた方を新派に与えてくださいました。本当に感謝しかございません。
明治の文明開化で生まれた新しい演劇「新派」。それは、江戸時代から続く歌舞伎を「旧派」と位置付けて名付けられたもの。でも、そもそも歌舞伎がなければ新派は生まれませんでしたから、私は歌舞伎と新派は兄弟のようなものだと思っています。
十七世勘三郎を父に持つ歌舞伎役者の家に生まれた私は新派、弟(十八世勘三郎)は歌舞伎、ジャンルは違いますが、“演じる心”は同じ。そう、初めて共演した時の私に対する印象を、月乃助さんは「中村屋という感じでした」ですって(笑)。そりゃあ、姉弟ですから!
新派入団第一作は、1月三越劇場の新作『糸桜』。演じる役は、河竹黙阿弥の娘糸女(私です)の養子になる繁俊先生。歌舞伎とは縁のない信州の一般家庭から上京し、不思議なご縁で歌舞伎作者の家に入られた方。何だか、月乃助さんとダブりませんか?
繁俊先生は後に国立劇場設立に尽力されますが、それがなければ月乃助さんは存在しなかった?!とこちらも不思議なご縁を感じます。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。波乃久里子でございました。