『遊女夕霧』、粋な大人の皆様へ!
「私たちの劇場、お国の劇場ができるのよ」
国立劇場の建設中、車で前を通ると(初代水谷)八重子先生はそう言って喜んでいらした。でも、先生がその舞台にお立ちになるまでには長い月日がかかります。いろいろな事情があったそうですが、当時は女優だから立てないのだと先生は思っていて、「いまに見てなさい…」と日頃、感情を露わにすることのない先生の鏡に向けた言葉が耳に残っています。本当に悔しそうでした。
昭和47年、国立劇場で初めての新派公演。『滝の白糸』の幕が開いて、八重子先生が登場するや客席からは天井が割れんばかりの拍手…私はその光景を楽屋を抜け出し3階席で見ていて、わんわんと声を上げて泣きました。
今回で新派公演は20回目に。江戸を現代に伝える歌舞伎とともに、明治の文明開化で生まれた新派は、明治、大正、昭和という先人たちの生きた時代を伝える使命を持っています。時代ごとに言葉遣いや生活習慣は異なり、現代を生きる私たちとはものの考え方も違います。「役の人生をなさい。自分のではなくね」と、八重子先生のあの優しい口調で何度注意を受けたことか…。ついいつもの自分が出てしまうんですね。
『遊女夕霧』は大正のお話ですが、演じる度に川口(松太郎)先生の本に唸ります。これぞ新派!
男女の心の機微が描かれ、舞台にはその時代の空気が流れる。初演の花柳(章太郎)先生とともに創り上げられ、役者の演技、衣裳、装置、道具の数々、そしてお囃子の使い方…すべてが計算され、1時間あまりの舞台に詰め込まれています。殊に幕切れで聴こえてくる義太夫の「野崎の送り」。愛する男のために身を引く『野崎村』のお光の心情を、夕霧に重ねているのです。芸能に精通している大人の愉しみ。粋ですよね。
私の愛する男は、月乃助さん。登場しただけで繊細でちょっとダメな男を匂わせて、すっかり新派の二枚目さん。そう、冒頭では一番弟子の鴫原桂が男に騙されて泣く小紫というお女郎さんを全身で演じています。いいぞ、鴫ちゃん!
大好きな国立劇場、15年ぶりと言わず、いつでも呼んでくださいませ。波乃久里子でございました。