名実況の元NHK・鈴木文彌アナが死去
延長18回引き分け再試合となった1969年夏の甲子園決勝戦「松山商業」対「三沢高校」のラジオ放送を担当するなど、数々の名勝負を実況した元NHKチーフアナウンサー、鈴木文彌(ぶんや)さんが20日午後6時13分、急性肺炎のため神奈川県内の病院で死去した。88歳。NHKが発表した。葬儀は25日に親族だけで営まれる。後日、偲ぶ会が開かれる予定。
鈴木さんは1948年にNHKに入局。広島中央放送局、大阪中央放送局を経て、1958年、本部・編成局アナウンス部に異動。スポーツアナウンサー一筋に活躍し、スピード感あふれるたたみかける描写と、「文彌節」と呼ばれる独特の表現で知られた。
1964年の東京五輪では、「東洋の魔女」旋風を起こした女子バレーボール「日本対ソ連」のテレビ放送を担当。日本リードで迎えたマッチポイントの場面で、「いよいよ金メダルポイントであります」と実況した。
また開会式では、ラジオ放送を担当し、東京の秋晴れの空を「開会式の最大の演出家、それは人間でもなく、音楽でもなく、それは太陽です」と表現し、話題になった。
また野球放送も数多く実況し、1969年夏の甲子園決勝戦「松山商業」対「三沢高校」のラジオ放送を担当。両チーム無得点のまま延長18回引き分け再試合となった名勝負を実況した。