三国連太郎さん“役者バカ”人生に幕

 映画「釣りバカ日誌」シリーズなどで知られる俳優・三国連太郎さんが14日午前9時18分、急性呼吸不全のため、東京・稲城市の病院で死去した。90歳。「飢餓海峡」(1965年)での狂気をはらんだ強盗犯役や「釣りバカ‐」のスーさん役など、極悪人から善人まで幅広く演じた。役者業に人生を捧げた名優だった。映画「わが母の記」(12年)が最後の作品となった。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。

 誰もが認める“役者バカ”人生に幕が下りた。

 三国さんの長男で俳優の佐藤浩市によると、三国さんは数年前から都内の病院に入院しており、1年数カ月ほど前に稲城市内の病院に移り療養生活を送っていたという。13日夜も十分な食事を取るなど元気だったが、深夜になって体調が急変。14日早朝にかけて2度おう吐し、次第に体温と血圧が低下。妻の友子さんが急いで駆けつけた直後に亡くなった。最期は安らかに息を引き取ったという。佐藤は臨終には間に合わなかった。

 三国さんは群馬県出身で、幼少時に静岡県に移り住み、10代から工員や船員などさまざまな職業を経験した。戦後も職を転々としたが、1950年に東京・東銀座を歩いていたところをスカウトされ、松竹映画のオーディションを受けた。当時は珍しかった180センチの長身に迫力のある顔立ちが木下恵介監督の目に留まり、「善魔」で映画デビュー。役名の「三国連太郎」をそのまま芸名にした。

 65年の「飢餓海峡」では次々に人を殺しながら逃亡を図る強盗殺人犯を鬼気迫る表情で演じ、高い評価を得た。その後も「神々の深き欲望」(68年)、「復讐するは我にあり」(79年)、「利休」(89年)など多くの作品に出演。晩年は「釣りバカ‐」シリーズのスーさんこと建設会社の鈴木一之助社長として多くのファンに親しまれた。また、監督としても映画「親鸞・白い道」(87年)でカンヌ国際映画祭審査員賞に輝いた。

 三国さんは主役、脇役、善人、悪人…と、あらゆる役を演じた。演技に入り込みすぎるあまり、悪人を演じている間は、周囲を近づかせない雰囲気をつくっていたという。また、老人役を演じた映画「異母兄弟」(57年)では、役作りのために、上下の歯を10本抜くなど、人生のすべてを演技にぶつけていた。

 病床でも演技が頭から離れることはなかった。病室の机の引き出しには「コピーできない演技とは経過そのものであったと認知した」「50年目にやっと認知した。遅かった」などと、演技論について書き込んだメモがしまい込まれていた。友子夫人によると、2、3年前に書いたものという。まさに最後の最後まで役者を貫き通した人生だった。

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