田端義夫さん死去 自身の映画公開前に
「バタやん」の愛称で親しまれた歌手の田端義夫(たばた・よしお、本名・田畑義夫)さんが25日午前11時45分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。94歳。三重県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。5月18日に田端さんのドキュメンタリー映画「オース!バタヤン」が公開予定となっており、その矢先の死去だった。
戦前のヒット曲を持つ現役歌手が旅立った。
田端さんは、10年3月31日に自宅で転倒し入院。その後は高齢のため入院生活を送っていた。24日夜に容体が急変し、妻・尋美さん(61)、長女・紗穂里さん(34)ら家族に見守られ、静かに天国へと旅立った。9月には田端さんにとっての初孫が誕生予定だったが「孫の顔を見るまで頑張って!」との紗穂里さんの呼びかけは届かなかった。
1937年、18歳の時にエレキギターを持って歌うディック・ミネさんに憧れ、39年にデビュー。ギターを手に歌うスタイルにこだわり、54年に購入した米国製ギターを、自分で修理しながら生涯愛用した。「オース!」のあいさつとコミカルなトーク、郷愁を誘う歌で大衆に愛され、「かえり船」など多くのヒットを飛ばした。また「島育ち」「十九の春」など奄美大島や沖縄の名曲を発掘し、心に響く歌謡曲として世に広めた。
晩年は「90歳まで歌う」と宣言。最後のステージは08年2月、愛知県内でのコンサートとなったが、09年には90歳で卒寿記念アルバム「バタヤンの人生航路」をレコーディング。「原曲のイメージを壊したくないから」と、若いころと同じキーで歌唱し続けた。
艶福家としても知られ、3度離婚し4度結婚。90歳を超えても「元気の源はコレ」と小指を立てた。入院中も女性看護師に「べっぴんやな。男には気~つけや」があいさつ代わりだったという。
05年から撮影された、自身の生涯を描いたドキュメンタリー映画「オース!バタヤン」の公開を5月18日に控えての逝去。田端さんの最後の担当ディレクターだったテイチクの小松永枝氏(44)は「映画の公開時期に合わせて天国へ旅立つなんて、最後まで自分自身の名プロデューサーでした」と涙ながらに話した。