橘家円蔵さん死去…また昭和の落語家が
黒縁眼鏡がトレードマークでナンセンスギャグを連発した人気落語家の八代目橘家円蔵(たちばなや・えんぞう、本名大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日午前3時30分、心室細動のため死去した。81歳。東京都出身。15年前から患っていた拡張型心筋症が急死の一因となった。葬儀・告別式は14日に都内の斎場で近親者で執り行った。
円蔵さんに異変が起きたのは7日午前1時30分頃だった。関係者によると、都内にある自宅2階で倒れていたところを一緒に暮らしていた娘が発見。呼吸をしておらず、救急車で病院に運ばれたが同日午前3時30分に死亡が確認された。
生前から本人が「香典はいらない。お金をかけるな」と語っていたことなどから近親者で13日に通夜、14日に葬儀を済ませた。ひつぎにはトレードマークの黒縁眼鏡が収められたという。
15年前に拡張型心筋症が発覚したが、薬での治療を続けながら仕事をこなしていた。ただ、高齢になったことで高座を務めることは難しくなっており、2012年9月29日、東京・浅草演芸ホールでの「初代林家三平三十三回忌追善興行」が最後となった。
「面白い落語家を目指す」が口癖だった円蔵さん。小学校卒業後に家業の紙芝居を手伝い、52年に七代目橘家円蔵に入門。65年に真打ちに昇進、月の家円鏡を襲名した。82年に八代目橘家円蔵を襲名。「死神」「らくだ」を得意ネタとし、故人の立川談志、三遊亭円楽、古今亭志ん朝と並び「落語四天王」と呼ばれた。
円鏡時代には、下町の語り口や、ナンセンスギャグの連発でテレビ、ラジオ、CMで人気を博した。「ヨイショっと」「うちのセツコが…」は大当たりに。TBS「お笑い頭の体操」や、文化放送「午後2時の男」、ニッポン放送「談志・円鏡歌謡合戦」と引っ張りだこだった。「エバラ焼き肉のタレ」「メガネクリンビュー」のCMでもお茶の間に親しまれた。
晩年は「-セツコが…」とネタにしていた妻の節子さんが10年に亡くなり、娘と2人暮らしに。お酒の席では周囲のグラスを気にかける気遣いの人で神経質な一面もあった。全盛期には円形脱毛症になっていたが、勇退後に治ったといい、「神経を使わないから楽だ、楽だ」と語っていたという。
病と闘いながらも面白さを追求した円蔵さんに弟子は「幸せな人生だったと思います」と話した。