工藤幹夫氏死去 82年“奇襲先発”
日本ハムで1982年に20勝した工藤幹夫(くどう・みきお)氏が肝不全のため13日午前1時40分、秋田市内の病院で死去した。55歳だった。通夜は17日午後3時から、告別式は18日午後1時から、ともに秋田市山王2丁目4の15、秋田典礼会館セレモで。喪主は長男の工藤壮史(くどう・まさふみ)さん。
工藤氏は秋田・本荘高から1978年度ドラフト2位で日本ハム入団。82年は14連勝を含む20勝4敗で最多勝、最高勝率、ベストナインに輝いた。
この年の西武とのプレーオフでは球史に残る“奇襲先発”を演じた。1カ月前に右手小指を骨折して全治4週間と発表。直前まで包帯姿だったが、第1戦に先発して周囲を仰天させた。当時の大沢啓二監督の指示で、チーム関係者にも数人しか知らせず早朝や深夜に極秘調整し、味方をもあっと言わせた。
その後、右肩を痛めて84年を最後に登板はなく、88年には内野手に転向したが、1軍出場はなくこの年限りで引退。実働5年で通算30勝22敗。太く短いプロ野球人生を送った。