元阪神監督・後藤次男さん、逝く

 阪神OBで元監督の後藤次男(ごとう・つぐお)氏が5月30日午後10時30分、兵庫県西宮市内の病院で老衰のため死去していたことが2日、球団から発表された。享年92。近親者のみで密葬が執り行われた。

 熊本県出身で温厚な人柄とその風貌から「クマさん」の愛称で選手、関係者、担当記者から慕われた。甲子園近くの自宅から自転車に乗って通勤する姿などもファンから愛された。

 後藤氏は48年、捕手として阪神に入団したがチーム事情から二塁手でデビュー。その後は外野も守るなど投手、遊撃を除く7つのポジションをこなすユーティリティープレーヤーの先駆けだった。

 藤村富美男らが中軸を形成した強打のダイナマイト打線では主に1番で活躍。1年目の129安打は98年に坪井智哉が135安打で更新するまで新人の球団最多安打だった。

 引退後は2度にわたって監督を務めた。69年は藤本定義と村山実、78年は吉田義男とブレイザーの間の1年だけを指揮したことから「つなぎの後藤」と言われた。

 第2次政権時のキャッチフレーズを聞かれ「明るく元気でボチボチと」と答え、チームスローガンは「お祭り野球」と答えたという。管理野球とは対極の自主性を尊重する野球を理想としたが、実を結ぶことはなく、球団初の最下位に沈んだ。監督退任後は90年代までサンテレビで解説者を務め、ネット裏からタイガースを温かく見守っていた。

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