米国の銃問題 フロリダ州の事件後、高校生たちの行動に“希望の光”
「ニッポン愛&Sarah、s eye=第23回」
梅が咲き始め、春を引き起こそうとしていますね。
事始め、復活の季節。希望に満ちた時期ですが、今回のテーマはかなり暗くて重いです。アメリカの銃社会について書かせてもらおうと。
この記事を書くのは2018年の50日目。この50日間だけでアメリカで起こった銃乱射事件の件数は34、そのうちの18件がスクールシューティング(教育機関に起こる銃犯罪)でした。もはや、普通の生活に伴う危険というか、当たり前になっていますね。こんな悲劇が何回起ころうとも「仕方ない」と思っている人は少なくないです。周りの国にはこんな問題はないのになぜ?と思うでしょう?例えるなら、日本の過労死問題のようですね。デンマークとかノルウェーとか、ワーク・ライフ・バランズ(仕事と私生活の調和)の取れた社会の実例があるのに、なんで解決しない?同じように、アメリカの銃問題も極めて複雑で根が深い問題です。
銃規制反対者から見ると、銃はただの武器ではなく、自由権のシンボルである。どんな緩い規制でも、憲法修正第2条(個人が銃を保持する権利を認めている憲法)を破ると考えている人がいます。でも、その憲法修正が採用された時から銃は進化して、それに沿って憲法を進化させるべきと考えている人も多くいます。民間人には軍人が扱うような自動火器は必要ないと。投票できない、酒も買えない未成年でも簡単に銃を手に入れられるのはおかしいと。(当たり前でしょうけど、私もこっち派)
銃は「漢らしさ」のシンボルにもなっています。昔の性役割(性別による、社会においての役割)に囚われてしまった人は多いです。例えば「男なら泣かない」。現代でもそんなことをよく耳にしませんか?美術に興味を持ったり、栄養バランスのとれた食事を食べたり、友達に相談したり。人間として自然で健康的なことは一部の人にとって「女々しい」。感情の整理は、抑え殺す方法以外、若い男性に教えていないので、爆発しても当然のこと。こう見ると、かわいそうだと思いませんか?そう、特にスクールシューティングで犯人が白人の少年だった場合、なんで正道を外れたか?いじめや虐待を受けていたか?精神障害はあったか?理由を付けたがる。一方、犯人が黒人やアラブ人だった時、「テロリスト」や「乱暴者」と言って片付けようとするのはまた一つの問題。
人種による量刑の格差、銃と「Toxic Masculinity」(歪んだ「漢らしさ」ばっかりを認めて、それを追求させる社会)の危険な関係性、NRA(全米ライフル協会)の政治的影響力などなど、銃問題の根となっている要素をこんな短い記事でとっても説明しきれない。それに、ただ暗くて重い記事は皆さんに読ませたくない。
だから、今回の記事は希望の光で締めましょう。
フロリダ州の事件の後、当校の高校生たちが行動に移った。権力者の大人たちよりも大人らしく国の未来を背負って戦ってくれています。まだ「仕方ない」として受け入れるようになってない。本当に、今の若者に叱られたようですね。学生たちがここまで頑張ってくれるなら、私たち大人も負けてられないと。これまで何も解決できなくて守れなかった悔しさ、悲しさ、罪悪感。それはもちろんあります。でも今はやっと変化を起こせる。そう信じたいです。
◆サラ・マクドナルド(Sarah Macdonald)1990年8月12日、米マサチューセッツ州生まれの27歳。14年にNHK連続テレビ小説「花子とアン」でデビュー。女優、情報番組などで活躍中。