三上悠亜 が独白 “人生の転機”となった文春砲、グループに迷惑「悪いと把握できたのは大人になって」
2015年6月にデビューし、6周年を迎えたセクシー女優・三上悠亜(27)。アイドル以上に寿命が短いとされる業界で、長くトップを走ってきた。アパレルブランド「miyour’s」のプロデュースを行い、SNSでは総フォロワー数が600万人以上…女性からの人気も着実に増えてきてた。前回の自身の今後、SNS、母親との関係などに続き、今回は人生の転機ともなった“あのこと”を聞いた。
三上は名古屋を拠点にした国民的アイドルグループに所属していたが、人気グループの男性アイドルと一緒にいたところを「週刊文春」にキャッチされた。
-やめるきっかけは文春砲だった。
「ちょうどグラビアのお仕事をいただき始めて、わたしの居場所はここにあるかもしれないって思い始めた矢先に不祥事。それから個人の仕事は一切なく、全員での仕事だけ。例え人気を取り戻したとしても過去は残るし、アイドルとしては終止符を打とうと。それで、自分でできることを探して1年くらい。『やめます』って言ったら誰にも止められなかった。『あ、そうですか』みたいな。ただ、『やめてください』と宣告されたことはなかったですね」
-AV出演を決めてからやめたんですか
「出演を決めたのはやめた後です」
-文春砲はどんな感じでした。
「家の前で待ち伏せされてて、いろいろ質問されて。バスに乗ったんですけど、普通に名古屋駅にも記者がいて。東京駅に行っても、どこに行ってもいる、みたいな」
-率直な気持ちは。
「バレたんだ…って。その直前に『FRIDAY』に同じ内容で撮られたんですけど、顔は伏せられてた。その1、2週間後に改めて文春に。『FRIDAY』の時点でもう心臓バクバクでした。ただ、その時は今ほどSNSが発達してなくて、誹謗(ひぼう)中傷される場も少なかった。まだマシな時にスキャンダルがあったのかなって」
-後悔は。
「グループにも迷惑をかける形になった。自分の行いに反省したてっていうのはありましたけど、その時は考え方も若くて。すべてが悪いと把握できたのは大人になってから。1人で活動するようになって、あの時の行動がよくなかったって。19歳当時は自己中心的だったと思いますね。撮られたことは『最悪だ、やっちゃった』と思ったけど、何が悪いとかは考えられなかったですね。だから今、炎上してる人を見ると心が痛い。恋愛じゃなくても。思い出しますね『この人つらいだろうな』とか『メンタルやられるよね』みたいに思います」
-直撃された人に声をかけるなら。
「『結局数年後には、今思ってるより楽しく生きられるようになるから。楽しく生きられるように方向転換しないと』って。落ち込むのは仕方ないけど、そこから先、どうしたいかは自分自身の問題。『終わりだ』っていう風には思ってほしくない」
◆三上悠亜(みかみ・ゆあ) 1993年8月16日、名古屋市出身。本名の鬼頭桃菜でアイドルグループメンバーとして活動。2013年に男性アイドルとのツーショットが「FRIDAY」「週刊文春」などに報じられた。グループ卒業後にAVデビュー。現在は「恵比寿マスカッツ」のメンバーとしても活動している。
(聞き手・構成/澤田 英延)