忘れないウクライナ遠征 かつては「酷い」も今は「好き」 プーチンに”思い”よ届け 人気芸人が語った
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領によるウクライナ侵攻が緊迫した情勢になっている。国際的な非難がロシアに向けられ、ウクライナの人たちの安否を気遣う声が広がっているが、お笑い芸人、プロレスラー、特撮キャラクターの収集家などマルチに活動するコラムニスト・なべやかんはパワーリフティングの日本代表選手として、世界大会が開催されたウクライナに滞在した経験があった。20世紀の終わりに現地で体感した、日本の常識とはかけ離れた世界を振り返りながら、現在の情勢について自身の見解をつづった。
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プーチン大統領のエゴでウクライナが大変な事になっている。ウクライナの人たちを思うと、本当に気の毒でならない。
ウクライナに行った事がある。パワーリフティングという競技をやっていた頃で、1998年に世界大会初出場した場所がウクライナだった。当時の物価は安く、レストランでコース料理を頼んでも日本円で3000円くらい。1000円出すと、コンビニ袋Lサイズがパンパンになるくらいピロシキが買えた。
ソビエト連邦崩壊で91年にウクライナは独立。86年のチェルノブイリ事故後、「そんな事実はない」と言ってしまえる国民性もあったりして、当時のウクライナは本当に酷い国だった…と個人的には感じた。
世界大会に出場する選手たちが最初に送り込まれた宿泊先は山の中にあるゲートに囲まれた真っ白い建物だった。入口にはマシンガンを持った兵隊と白衣を着たナースが立っていて、彼らにパスポートを見せて入室すると部屋の窓には鉄格子。多分あの場所はサナトリウムだと思う。
世界大会初出場という事もあり、斉藤さんという当時のマネジャーも同行し、番組用にカメラ撮影をしていたのだが、許可を取る段取りをする度に関わる人がうそをつく。撮影段取り、タクシー手配、念のために何度も確認すると「OK」と言うのに、その時が来ると「そんな事は聞いてない」と平然と言われる。帰国の時も飛行機が飛ばず、次の日に変更になったのでチケット予約をしても、当日空港で「そんな予約はない」と言われる。出国手続きでは「帰りの日が違う」と言われパスポートを没収され、その後ずっと無視される。抗議するとマシンガンを持った兵隊に囲まれホールドアップ。斉藤さんがいなかったら無事に帰国できなかっただろう。
そんなウクライナでも、英語や他国の言葉がしゃべれる人は違った。外の世界を知っているので柔軟性があり、臨機応変がきく。それ以外の人は、言い方は悪いが「兵隊さん」のように感じた。
当時は「酷い」と思ったが、あれから時が経ち、ソビエト色が薄まり、人々も変わったと思うし、日本で会ったウクライナ人は良い人たちだから今は好きだ。
ちなみに、ロシアのモスクワ映画祭に行った仲の良い映画関係者が体験した話によると、空港で警察官に"賄賂"を求められ、高いので値切ったら警察署に連行され、勾留されたという。
世界に恥じぬ国になって欲しい。だが、我々の常識から考えると悪しき常識の政権にウクライナが取り込まれようとしている。ニュースで死者数が出るが、プーチンに殺害された人の数だという事を世界中の人たちに理解して欲しい。
(コラムニスト・なべやかん)