「無頼平野」つげ忠男「ねじ式」つげ義春 漫画家兄弟に起こった“精神のリレー”
1960年代から精力的に活動し、現在ウェブコミックサイトMeDuで「昭和まぼろし 忘れがたきヤツたち」を不定期連載中の漫画家・つげ忠男さん(80)をテーマにしたトークイベント「つげ忠男と北冬書房の1972年春“屑の市”の頃」が22日、東京・国立市のギャラリービブリオで開催された。忠男さんとともに、実兄の漫画家・つげ義春の担当編集者でもあった高野慎三さんが、戦後の代表的小説家を挙げ、兄弟に起こった“精神のリレー”を明かした。
忠男さんもイベントに参加予定だったが、体調不良のため欠席。高野さんによると、忠男さんが中学卒業からしばらく勤務した血液銀行(血液を売買する製薬会社)で、注射針を洗浄するなどした際に感染したと思われるC型肝炎の影響だという。漫画誌「ガロ」時代に忠男さんに原稿を依頼し、1968年に久々の再起作「丘の上でヴィンセント・ファン・ゴッホは」を導いて以来、今も交流は続いている。
高野さんは「丘の上で-」の半年前に「ガロ」に掲載された、つげ義春さんの前衛的な名作「ねじ式」も担当していた。当初の吹き出し「××クラゲ」を誤植した「メメクラゲ」が、そのまま名ゼリフとして定着した逸話を持つ。「つげ義春さんは埴谷雄高『虚空』を読んで、同じようなものを漫画で描いてみたい、と言って完成したのが『ねじ式』でした」と、「死霊」など観念的な作品で知られる小説家の名前を挙げた。
一方の忠男さんは戦後の昭和を舞台にした、太平洋戦争の復員軍人やならず者の無頼漢を描くことで知られている。高野さんは「つげ忠男さんは高橋和巳『堕落』をヒントに、戦中派の特攻隊帰りの狂気を描きました」と回想。高橋和巳は現代社会の影を描き、全共闘世代の支持を集めたが、1971年に39歳で病死するまで埴谷雄高に師事した。「埴谷と高橋の“精神のリレー”のようなものが、兄弟にもあったと思います」と結んだ。
イベントでは、主催者から忠男さんが不参加を謝罪する談話を紹介。忠男さんと義春さんが最近電話で、互いに体調を気遣い、ともに「良くない」と嘆くやり取りがあったことも明かされた。昨年に忠男さんが初めてミュージックビデオ制作にイラストで参加したミュージシャンYO-ENは、ユーチューブに公開中の楽曲「わたしはわるい人間だもの」をライブ演奏し、新曲で再度のコラボ計画が進んでいることを語った。また、つげ義春の原作を映画化した「ゲンセンカン主人」(1993年、石井輝男監督)、「ねじ式」(1998年、石井輝男監督)、つげ忠男作品が原作の「無頼平野」(1995年、石井輝男監督)に出演した女優・水木薫も顔を出した。
「ガロ」編集者だった高野慎三さんが北冬書房を立ち上げて以降50年間の活動を振り返る「北冬書房半世紀展 孤高のマンガ表現の軌跡」で企画されたイベント。同展開催は今月24日まで。この模様は、元ガロ編集長の山中潤さんが主宰するユーチューブチャンネルJunsTVで、後日配信される。
(よろず~ニュース・山本 鋼平)