ウクライナの「生」を撮った写真家が語る 死と隣り合う日常「敗北主義はむしろ危険。そのことを感じた」
ロシアのウクライナ侵攻からまもなく半年を迎える。状況は混とんとしているが、戦火の中を生きる人たちはどのような生活をしているのだろうか。「死」と隣り合わせになった極限状態の中での「生」に焦点を当てたカメラマンの釣崎清隆氏が、よろず~ニュースの取材に対し、現地での撮影体験と思いを語った。
釣崎氏は1966年、富山県生まれ。慶應義塾大学卒業後、AV監督を経て、94年に雑誌の仕事としてタイで死体を撮影してから写真家として始動。以降、「死体写真家」という唯一無二の表現者となり、コロンビア、ロシア、メキシコ、パレスチナなど、世界中の無法地帯や紛争地域を渡り歩いてきた。
「死」に向き合った写真集『THE DEAD(ザ・デッド)』の出版から4年。死と対になる「生」にフォーカスした写真集『THE LIVING(ザ・リビング)』の刊行を目指す中、今年5月、ウクライナに渡った。
-入国の経緯は。
「ウクライナ軍のアクレディテーション(認定資格)を取るために「(写真集の出版社)東京キララ社の『THE LIVING』という媒体の記者」として申請しました。(ジャーナリストという肩書は)方便です。撮影時期は5月いっぱい。準備に時間がかかってしまい、キーウの解放より一足遅れました」
-これまで、殺人現場、麻薬組織の銃撃戦などに接してきたが、国家ぐるみの戦争は初めてか。
「中南米の麻薬戦争にしても犯罪の延長線上の内戦で、麻薬カルテルは戦車や潜水艦を持っているという話もあるが、たかがしれている。パレスチナは圧倒的なイスラエルの軍事力に対して、民兵、ゲリラの戦いということで、平たく言えば、パレスチナ人は戦車を持っていないわけです。今までそういう『非正規戦』に接してきたが、今回、戦車同士が戦う、正規戦に近い戦場は初めてでした。ウクライナは小国と思われがちですが、旧ソ連邦の中でも有力な共和国の1つであって、NATO諸国からの軍事援助も潤沢に得ているし、装備を傍目で見ていて不足があるとは全く見えなかった。第2の都市・ハルキウを中心に、その周辺も含めて取材しましたが、おびただしい数のロシア軍の軍事車両や戦車の残がいが置きざりにされていて、これまでの非正規戦とは色合いが違った」
-現地の生活は。
「戒厳令中なので、夜は出歩くなと言われるが、歩いていたら撃たれるようなことはない。日本でもそうだったように、コロナ禍での締め付けの延長線上のような自粛体制ですね。スーパーマーケットは夕方で閉店。みんな酒好きなので、夕方までに酒を買う。ビールはドイツ製が多かったかな。(日常生活を維持する)エッセンシャルワークは全部機能している感じです。現地で交わったミュージシャンは支援物資を運ぶボランティアやウクライナ軍の志願兵になったりして、お国のために昼間は働いていた」
-撮影中に危険を感じたことは。
「デルハチという町で、ミサイル攻撃された直後の建物の中で撮影していたら、鼻先で大量のがれきが落ちてきて死ぬかと思いました。解放されたばかりの村では置き去りにされたロシア兵の死体を撮影しました。最前線はほど近く、望遠レンズで着弾点の生々しい硝煙を撮影できるほどです。銃声や砲弾の音はすごいです」
-『THE LIVING』は28年間にわたって撮影した写真から「生」を選ぶ作業になるが、ウクライナの割合は。
「掲載写真は200点くらい。そのうち、ウクライナは今回の目的もあって、かなり意識的に撮ったので分量は多くならざるを得ない。モチベーションが違うので」
-生と死について。
「生と死は世界の半分ずつだと思う。僕は『死』をずっと見つめてきて、逆に『生』の部分が裏舞台になっている。そういう視点で世界を見てきたので、リビングはデッドの裏側で、生と死は表裏一体の世界」
-8月15日は日本にとって終戦の日。そして、ウクライナ情勢は対岸の火事ではない。
「靖国神社には僕も参ります。(日本の状況に)憂(うれ)いていますよ。『ノブレス・オブリージュ』という言葉がありますが、社会的に影響力のある人、立場のある人ほど先頭に立って戦うべきなのに、日本の戦後エリートはそのことが分かっていない。(戦争を早く終わらせるべきという)敗北主義はむしろ危険。ウクライナに行って、そのことを強く感じました」
写真集『THE LIVING』はクラウドファンディング特典のほか、来年1月開催予定の写真展や一部店舗で販売される。釣崎氏は「現在、鋭意編集中です」と意欲を示した。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)