仲本工事さんの「ドリフ論」 存続できた要因は「メンバー間の年齢差」、ビートルズ公演の舞台裏も語った
「ザ・ドリフターズ」の仲本工事さん(享年81)が19日、急性硬膜下血腫のため死去した。生前、仲本さんは記者の取材に対して独自の「ドリフ論」を展開し、ビートルズの日本武道館公演(1966年)での「伝説の夜」を証言していた。その内容を再録する。(文中一部敬称略)
土曜夜の国民的バラエティー番組「8時だヨ!全員集合」(TBS系、1969-85年放送)は全国各地を回って公開放送していた。仲本さんは「忙しかった頃は睡眠時間4時間くらい。今もそのくせが抜けなくて、すぐ目が覚めちゃう。全国を回るので、1年の内、メンバーと一緒にいる時間が3分の2で、家で過ごすのが3分の1だった」と明かした。
リーダー・いかりや長介さん(2004年死去、享年72)についても語った。
「いかりやさんが亡くなって十数年たっても、まだ生きているみたいでね。今もライブで、いかりやさんの話題になるとウケるんですよ。ということは、いまだに皆さんの意識の中で生きているんだよね。『それ誰?』という人がいない。すごいことですよ。いかりやさんとの会話では必ず仕事の話になって、だいたい説教で終わっちゃう。社長と社員が一緒に飲んでも楽しくないみたいな感じ(笑)。それでも、いかりやさんがすごいのは『はみ出しようがない台本によるシチュエーション・コメディの世界』を固執して作ったということ。その笑いは今の時代にも通じる。舞台に出てくる学校のセットだって、もう鉄筋の時代だったのに、木造の校舎にこだわった。それは昭和ヒトケタ世代のいかりやさんが経験した戦時中の学校のイメージなんだね。そのこだわりが独自の世界を作った]
トリオのユニット「こぶ茶バンド」の盟友でもある加藤茶(79)と高木ブー(89)については「加藤さんはいかりやさんとも上手に付き合い、ブーさんはマイペースだった」という。また、荒井注さん(2000年死去、享年71)の脱退後、付き人から正式メンバーに昇格し、後にグループをけん引する存在になった志村けんさん(20年死去、享年70)にも言及。「ドリフ全員が津軽三味線を『かくし芸大会』でやったことがあったんだけど、志村はその後も練習を続けて弾きこなしている。一番の勉強家で熱心な人。加トちゃんが天才型なら、志村は努力家の秀才型ですね」と評した。
ドリフターズ存続の要因として「メンバー間の年齢差」を指摘した。
「年齢が上下で最大20歳近く離れているというのもあるんじゃないかな。いかりやさんは昭和6年生まれで、昭和16年生まれである僕のちょうど10歳上。志村は昭和25年生まれだから、いかりやさんとは20歳近く、僕とは10歳近く離れている。加トちゃんは昭和18年生まれで僕と近いけど、ブーさんは昭和8年生まれで10歳上。全員が同世代じゃなくて、年が離れてるから、もめ事もない。バランスのいいチーム。ファンの人も『加トちゃんが好き、志村が好き、でもドリフ全員みんな好き』という流れだったと思う。メンバー間で『俺が俺が』っていう人もいなかったし、ドリフとしての番組が終わっても、それぞれが仕事をして、それでもドリフであるわけだし、わざわざ解散宣言することもなかった」
ビートルズの前座体験も語った。仲本さんはリードボーカルとして「のっぽのサリー(ロング・トール・サリー)」を歌った。ビートルズもカバーしたリトル・リチャードの有名曲だが、出番は当初の予定から大幅に短縮され、わずか40秒。短く編集した1曲のみで、いかりやさんの「逃げろ-!」の合図と共にステージを走り去った。ただ、グループの中で脇役的な存在だった仲本さんが、熱狂する武道館の主役になった瞬間が確かにあった。
「短髪で黒ぶちメガネにエレキギター」という仲本さんのスタイルは、その容姿において、ロック草創期に足跡を残した米国のミュージシャン、バディ・ホリーに重なった。59年に小型飛行機の墜落事故によって22歳で早世したホリーはビートルズに大きな影響を与えた人物だ。また、ビートルズのメンバーと仲本さんの年齢でいうと、ジョン・レノンとリンゴ・スターは1歳上で、ポール・マッカートニーは1歳下、ジョージ・ハリスンは2歳下という同世代。だが、バックステージの楽屋は完全に仕切られていて、会うことはかなわなかった。
「会場はすごい歓声で何が何だか分からないうちに終わっちゃった。彼らの演奏もお客さんの声がすごくて聞こえなかった。後になって『ビートルズの前座をやったなんてすごいですね』と言われますが、当時はそんな余裕もなくて。今になって、すごいことやったんだなと。いい経験をさせてもらいました」
ドリフ加入2年目でのビートルズ体験を経てグループの快進撃が始まる。「ドリフは解散しないし、する意味もない。メンバーが生きていればドリフですから」。仲本さんは亡くなるまで“生涯ドリフ”を貫いた。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)