横浜銀蠅・嵐さんが残した言葉「人生留年」込められた深い意味 11月から東名阪で「追悼集会」
ロックンロールバンド「横浜銀蝿」のリーダー、ドラマーで、今年7月4日に67歳で死去した嵐(らん)ヨシユキさんのお別れ会が今月18日に都内で開かれた。11月から12月にかけては東京、大阪、名古屋で嵐さんの「追悼集会」と題したライブイベントが開催される。ファンが待つ東名阪ライブを前に、残されたメンバーの翔(64)、Johnny(64)、TAKU(62)による惜別の言葉を紹介し、かつて嵐さんが残した“金言”を紹介する。
お別れの会ではメンバーの座談会的な映像が前半に流された。嵐さんがいなくなった現在の心境について、3人はそれぞれの思いを語った。
ボーカル&ギターで実弟の翔は「横浜銀蠅って、リーダーは嵐さんだけど、俺たちの意見を取り入れて、楽曲制作も任せて、一つのチームになっていた。その中で横浜銀蠅の方向性を決断してきた人だから。『嵐ヨシユキ』が音楽シーンに残したものを今後も伝えていきたいし、嵐さんのことを忘れないでもらう活動もしていきたい」と誓った。
ギターのJohnnyは所属するベルウッド・レコードの社長(浅沼正人氏)という顔もある。「嵐さんと出会わなければ、こうして音楽で一生メシを食う仕事に就いていなかったから、それは本当に感謝しています。嵐さんに出会って今の自分がある。67歳で亡くなったのは早いですけど、100歳まで生きればいいというわけではなく、どういうふうに生きたかということ。嵐さんは走り抜けてきた。俺もどこまで生きられるか分からないですけど、最後まで熱く生きたい」と思いを込めた。
最年少であるベースのTAKUは「俺は長男で兄がいないので、嵐さんは5歳上のお兄さん。18歳の出会いから、好き勝手やらせてくれることが多くて、俺の可能性を最初に信じてくれた人。感謝しています。自分一人の命じゃなくて、それぞれの糸が編まれて人生になっていく。一緒に人生を編んできた人たちの中で、俺の糸は強くありたいなということを、嵐さんはすごく思わせてくれた。だから、嵐さんが逝ったことで、俺の“趣味”は長生きにしようと思いました」と語った。
記者はお別れの会に出席する前日、10年前に購入していた「ペキンパー」というDVDマガジン(2012年12月発売の第3号)で特集された嵐さんのインタビュー映像を見返した。嵐さんは人生相談的な話の流れの中で「何をやったらいいか分からない」という悩みに対して、「何もしなくていいんだよ」と即答していた。
嵐さんはさらに続けた。「それは神様が『休め』って言ってんだから、ひたすらおとなしく、冬眠してたらいいのよ。俺の好きな言葉に『人生留年』ってのがあってね。人生は留年しても何度でもやり直しがきく。退学するわけじゃないんだから。やることがないのは留年している時なんだよ。何もしてなくても、腹は減るから」。無理しなくていい…というスタンスが硬派なイメージとの、いい意味でのギャップがあって印象に残った。ネガティブな状態にいる人への優しさと共に、逆境も俯瞰(ふかん)できる大らかさと視野の広さを感じた。
今月26日には嵐さん追悼のミニアルバム「All for RAN」が発売される。ライブイベント「T.C.R.横浜銀蝿 R.S 嵐追悼 関東集会 All for RAN」が11月2日に都内の「江東公会堂ティアラこうとう大ホール」から開催される。「大阪集会」は12月9日に大阪市の「梅田クラブクアトロ」で、「名古屋集会」はが同11日に名古屋市の「エレクトリック・レディランド」で行なわれる。「人生留年」中の人も、人生の停滞期から卒業した人も、今後も嵐さんが精神的な支柱となる横浜銀蠅の音楽に後押しされていくだろう。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)