ピンク・レディー未唯mie 64歳、美の秘訣は独自の健康法 1月に公演、26年の50周年にも意欲
1970年代後半にブームを巻き起こしたピンク・レディーの未唯mieが来年1月に総勢20人以上のビッグバンドによる公演「新春“Pink Lady Night”2023」を開催する。活動の軸となるライブにかける思い、健康法、今も糧になっているピンク・レディー時代の経験について話を聞いた。
新春恒例の同公演は2010年から開催。新年は1月6日にビルボードライブ横浜、8日にビルボードライブ大阪、14日と15日に東京・目黒のブルースアレイジャパンで行なう。未唯mieは、パーカッション奏者・仙波清彦、キーボード奏者の久米大作、ギタリストのムーンライダーズ・白井良明(15日は土方隆行もギター共演)、ベーシストのバカボン鈴木、トロンボーン奏者の村田陽一、バイオリン奏者の高橋香織ら一流ミュージシャンや、10人以上の打楽器隊の演奏と共に、ピンク・レディーのヒット曲を大胆なアレンジで歌い上げる。
76年から81年まで4年7か月の活動期間だったピンク・レディー時代、81年からソロ歌手や女優としてテレビにも露出していた時期を経て、この約15年間はライブに打ち込んだ。その活動を支え、昨年3月に亡くなった恩師の村上“ポンタ” 秀一さん(享年70)は「エターナル(永遠の)ドラマー」として今公演でもメンバーに名を連ねた。「みんなが本当に喜んでくれて、こんなに愛されるライブは珍しい」。自身は桂由美のバリコレ仕様の着物でステージに降臨する。
新春公演はピンク・レディーをセルフカバーした企画だが、取り組むジャンルは多岐にわたる。例えば今年11月の「ハロウィンナイト」では、世界的に活躍するサウンドクリエイター・YUMA HARAとコラボし、80年代以降のソロ曲などを披露。一方、ケイ(増田恵子)とのビンク・レディーでは17年と18年に日本レコード大賞のステージで健在ぶりを示したように、不定期で活動を継続する。
サッカーW杯の次回大会が開催される2026年は「ピンク・レディー50周年」でもある。未唯mieは「50周年って…私、いくつだ?ギリギリ60代ですね。踊れるかな(笑)。でも、そういう周年記念での何かについては、確かにやってみたいと思います」と意欲を示した。
18歳でデビューする前から表現者としての思いは強かった。
「(日本テレビ系オーディション番組)『スター誕生』でプラカードを上げてくださった、どの会社に行くかという時に、『T&Cミュージック』の相馬一比古さんに『大人の歌手として活躍できるように育てたい。いずれは米国に進出できるように』と言われて入り、デビュー3年目の78年にラスベガスのステージに立ちました」。79年には世界40カ国で同時リリースされた海外デビューシングル曲「Kiss In The Dark」が全米トップ40入り。全米1位になった坂本九さんの「SUKIYAKI」(上を向いて歩こう)以来の快挙となる。さらに、米3大ネットワークのNBCで「ピンク・レディー&ジェフ」という冠番組(80年放送)を持った。
「NBCの番組ではチープ・トリック、ブロンディ、ロイ・オービソン、アリス・クーパー、超有名なコメディアンであるジェリー・ルイスといった世界的なスターをゲストに迎えて一緒に歌ったり踊ったり、しゃべったりを体験しました。当時はスケジュールがあまりにも過密すぎて、どこで何の仕事しているのかも把握しないまま、何の緊張もなく、大阪でやるのと同じような流れで、ロスで仕事をしていました」
寝る暇もなかったピンク・レディー時代。「ハワイでのCM撮影が0泊2日だったり…。ソロになってからも忙しかったですが、落ち着いたのは29歳で独立してからですね。人間らしい感じになったのは」。そして、64歳になった今もシェイプアップされた体形を維持し、精力的にライブを続ける。健康の秘けつは自然体だ。
「1日1食、その日の終わりに好きなものを食べる感じです。また、以前は仕事前に3-4時間のバスタイム(入浴)があったんですけど、60の声を聞いてから、お風呂でウェート・コントロールすると顔が痩せて見えるようになるので、今はやめて軽めにしています。実は運動は大の苦手で、ジムにもできるだけ行きたくないみたいな(笑)。そうはいっても、年齢を重ねていくと、体も動かさなくてはということで、この10年間はジャイロトニック(ニューヨーク生まれのエクササイズ)をやり、(骨を意識した)ボーンメソッド、インナー・マッスル(体の深部にある筋肉)の体操的な運動をやっています」
今月23日には、サックス奏者・梅津和時の主催で、仙波ら新春公演のバンドメンバーも登場する東京・新宿ピットインでのライブに佐野史郎や六角精児らと共にゲスト出演。年末年始も走り続ける。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)