田中ケロ氏 猪木さん死去後の特集に悔しさ 「生きているうちに功績をたたえてほしかった」
新日本プロレスの元リングアナウンサーで、10月1日に79歳で死去したアントニオ猪木さんを名調子でコールしていた田中ケロ氏(63)が、猪木さんの死を振り返った。
10月14日に都内で行われた告別式では“猪木コール”で送り出し、12月28日の「INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in 両国」(両国国技館)で予定されるセレモニーにも参加するケロ氏。「あんまり実感がない。死んでから猪木さんが特集されているが、生きているうちに功績をたたえてほしかった」と、悔しさをのぞかせた。
告別式で猪木さんと最後の対面。「無表情で眠っていた。痛みから解放されてよかったと思った」と、燃える闘魂との別れを思い返した。ケロ氏は猪木さんの亡きがらに触れなかったというが、同席したプロレスラーの藤原喜明から「冷たかった。冷凍されてたんじゃないか」と伝えられたという。死から2週間。米国在住の猪木さんの長女・寛子さんの帰国を待っての家族葬だった。
新型コロナウイルス感染で2021年8月から約半年間、生死の境をさまよったケロ氏を猪木さんは気にかけていたといい、ディレクターとしてNHKの猪木さんドキュメント番組を制作した元プロレスラーの鈴木健三氏から「猪木さんは入院中にもかかわらず『ケロの状態はどうだ?』と気にされていた」と明かされた。
新日本のリングアナウンサーになりたての1980年代、巡業では猪木さんに食事に誘われたといい「この対戦カードどう思う?。面白くねぇだろ。どう変える?」などと、マッチメークのアイデアを求められたという。
「面白いことを考えろ。やれよと常におっしゃっていた。『面白いことをやれ、ビックリすることをやれ』と。猪木さんはサプライズ好きでしたが、ずっとやっているとサプライズでなくなるので、ここという時だけ…ためて“来た!”という時だけサプライズをやる。いかにお客さんを喜ばせるか」。たたき込まれた猪木イズムは、今でもケロ氏の考えの根幹にある。
猪木さんに超満員で埋まった東京ドームのリングに立ってもらい、コールするという願いは叶わなかった。「天に届くよう魂を込めたコールをしたいと思う。猪木会長の冠の大会を増やしていただきたい。戦っている姿を思い出せるような受け継ぐ大会をやってほしい」と、弟子たちに望んでいた。
(よろず~ニュース・杉田 康人)