トキワ荘で永井豪氏がデビルマン、マジンガーZをライブペインティング「上から怒られなければ」石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら思う
トキワ荘マンガミュージアム(東京・豊島区)は7日、翌日から開催する特別企画展「W50周年記念 デビルマン×マジンガーZ展」の記者発表を行い、原作者の漫画家・永井豪氏(77)が出席。永井氏は両作品の思い出を語り、デビルマンとマジンガーZのライブペインティングを披露した。
会場入り口のブラックボードを前に、少し思案した永井氏。手を動かすと白マーカーでデビルマンとマジンガーZを一気に描き上げた。「少しデビルマンが大きかったかな」と笑顔を見せつつ、サインを添えて締めくくった。手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫、アシスタントとして師事した石ノ森章太郎らが名作を生み出したトキワ荘での企画展。「おこがましいと思いつつも嬉しいです。石ノ森先生、赤塚先生、藤子先生らの後を追って、自分は漫画の道を進んでいるんだなと、確認できて嬉しい。亡くなられている方が多いですけど、上から怒られなければいいな」と感慨深げに語った。
「デビルマン」は週刊少年マガジン、「マジンガーZ」は週刊少年ジャンプで、ともに1972年に連載をスタート。両作は現在も高い人気を誇り、関連作品やグッズがつくられ続ける。「当時は疲れ知らずでしたが、デビルマンは描きながら倒れそうになるくらいきつかった。ギャグ漫画は週刊5本でも平気でしたが、デビルマンはなぜこれほど消耗するのか分からず必死でした。マジンガーZはスムーズに描けて楽しかったですね」と振り返った。
石川県輪島市出身だが、小学校時に東京・大塚に転居し、青春時代までを過ごした。同ミュージアムの2階では、名作誕生時が再現された各漫画家の部屋が展示されている。「子どもの頃の雑誌にはトキワ荘の住所が出ていたが、シャイだったので直接会うのはやめていました。近くの大塚に住んでいたのに。もし当時お会いできていたらな、と思いながら展示を見ました」と感想を口にした。
漫画史に残る金字塔となった両作。学生時代に体操で鍛えた体力面の自信が大きかったと回想。「子どもの頃から浴びる程漫画を読み続けていて、アイデアに困ることはなかった。机に向かうと自然とアイデアが出て、絵に関しても描く前にシーンが目の前に見えてくる。見えたものをそのまま写せばいい、という感じで、人より早く、迷いなく描けました。アイデアに困らないこと、頭の中に映像が見えるのは今も同じです。自分でもトクだなと思います」と、天才ならではの逸話を語った。
同展は2期に分けて開催。前期の「デビルマン」(4月8日~5月28日)では永井氏による派生作品のものを含め原画58点、後期の「マジンガーZ」(6月3日~7月30日)では同様の原画60点を展示。永井氏は単行本、改訂版のたびに絵や構成に手を加えることでも知られる。「50年前の仕事はスピード勝負。寝る時間、食べる時間を削っていて、ちゃんと描いているつもりでも、荒れていたり、もっと演出できたのでは、というものがあった。昔よりは余裕があるので、直したいと思う所は手を出したりしています。展示されている原画でも、手を加えている辺りがありありと出ています。そこも見ていただければ」と呼びかけた。
会期中には2回トークイベントが実施される。休館日、観覧料等の詳細は同ミュージアムの公式サイトまで。
(よろず~ニュース・山本 鋼平)