大河『家康』浅井長政の裏切り!狼狽する信長、泰然自若とした家康の「構図」は本当か? 識者が解説

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第14話は「金ヶ崎でどうする」でした。越前の朝倉義景を討つため出陣した織田信長、徳川家康らが、浅井長政の裏切りにより、窮地に陥る様が描かれていました。

 元亀元年(1570)4月20日、織田信長は、若狭・越前国を制圧するため、都から進発します。これには、信長の命により、上洛していた三河の徳川家康も加わっていました。『徳川実紀』(江戸幕府が編纂した徳川家の歴史書)には、この辺りのことを「信長が越前の朝倉義景を討とうとして出陣した。その援兵を要請してきたので、君(家康)は遠江・三河の一万の軍勢を率いて、敦賀に到着」と記しています。

 まず、信長が攻略しようとしたのは、手筒山城(福井県敦賀市)でした。同城は堅固な山城でしたが、信長は軍兵を叱咤し、奮戦させて、落城に追い込みます。『徳川実紀』には「織田と旗を合わせ、手筒山の城を攻め破る」とありますので、同書によると、家康軍も同城の攻略に貢献したようです。しかし、『三河物語』(江戸時代初期の旗本・大久保彦左衛門の著作)には、手筒山城の攻略については触れられていません。

 信長は、朝倉景恒が籠る金ヶ崎城(福井県敦賀市)も攻めることになりますが、同城はすぐに降参、敵勢は退城していきました(4月26日)。今後も侵攻は順調に進むかと思いきや、驚くべき事件が発生します。

 北近江の浅井長政が信長に反旗を翻し、朝倉方に付いたとの情報が次々と寄せられたのです。長政には、信長の妹・お市が嫁いでいました。よって、信長としては、まさか、長政が裏切るとは…との想いだったようですが、長政の裏切りは「現実」のものだったのです。

 今回の大河では、長政の裏切りを知らせたのは、お市の方の侍女・阿月(演・伊東蒼さん)でした。お市に可愛がられていた阿月は、ご恩返しとばかりに、命懸けで金ヶ崎まで激走し、力尽きました。 

 阿月とは、お市が信長に危険を知らせるため、小豆を袋に入れ両端を縛ったものを送り届けたという逸話に因んだ命名でしょう(この逸話は、創作だと考えられます)。

 さて、信長や家康らは、このまま金ヶ崎にじっとしていたら、浅井・朝倉に挟撃されてしまいます。長政が裏切ったことを知った時の、家康の感想なるものは『三河物語』にも『徳川実紀』にも記されていません。ただ『徳川実紀』には「信長大いに狼狽せられ」「信長大いにおどろき」と、信長がとてもビックリしていたことだけが書かれています。信長の危機は、同じ場所にいる家康の危機でもあるのですから、家康が「長政の裏切り」を驚かなかったはずはないでしょう。口には出さねど、困ったことになったとは思っていたはずです。

 ただ、諸書には家康の想いは記されていませんので、『徳川実紀』だけ見ていると、狼狽する信長、落ち着いている、泰然自若とした家康という「構図」が、心の中に形成されてしまいます。ちなみに『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が記した信長の一代記)には、長政の裏切りをなかなか信じようとしない信長の姿が描かれています。が、『徳川実紀』のように「狼狽」したとまでは書かれていません。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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