吉本新喜劇・辻本茂雄 恩人・間寛平に感謝 “アゴネタ”封印で低迷も周囲に「面白いぞと言ってくれて」

 吉本新喜劇の辻本茂雄(58)がこのほど、よろず~ニュースのインタビューに応じた。「天使の茂造」(4月28日~5月8日、京都・よしもと祇園花月)の公演を前に、芸人としてこれまでの紆余曲折や新喜劇に対する思いなどを語った。

 漫才コンビ「三角公園USA」でデビューして活動を続けながら、コンビで新喜劇入りしたものの、1年後には相方が芸人をやめて一人に。1989年10月に初舞台を踏んだが、最初は全くウケなかった。役にも恵まれず低迷していたところ、舞台で池乃めだかから「アゴ本くん」とアドリブを入れられ、「辻本です!」と返すと観客は大爆笑。知名度もアップし出番も増えた。

 しかし、徐々に「やりたいことと違う」と疑問を持ち始める。上層部に「主役として芝居を回す、突っ込むような役をやりたいです」と“アゴネタ”封印を直訴すると仕事が激減。そんなときに「間寛平広島横断ツアー」の主役に抜てきされる幸運に恵まれる。「当時、決まっていた人がダブルブッキングでNGになって、会社から電話が来ました」と明かした。

 ツアーを終えると、思わぬ役が舞い込んだ。「寛平兄さんがあちこちで“辻本、面白いぞ”“突っ込みが面白いぞ”と言ってくれていたらしくて。それだけではないかもしれませんが、しばらくするとNGKで自分がやりたかった役が回ってきたんです。主役で。すごくうれしかったです」と恩人に感謝。「アゴネタだけだったら座長になっていなかったと思うんです」と続けた。

 寛平からの“援軍”は他にもあった。新喜劇の東京進出へ向けて準備をしていた時、担当者から「大阪のニオイがきつすぎる」と完成したばかりの東京・ルミネtheよしもとから声がかからなかった。仕事がない時期で、すると寛平から「一緒にコントをやろう」と誘われ舞台に立つことに。「加藤茶さんや東幹久さんがいらしゃって、打ち合わせから緊張しましたけど、すごく勉強になりました」と当時をなつかしむ。そこから全国ツアーに発展した。

 入団してから30年以上。時代によって変わってきたこともあるが、自分の考えを押しつけるつもりはない。「みんなやりたいこともあるでしょうから。ゲストで出ているのであまり言いません。座長にお任せしています」。よほど理不尽なのことがあれば意見を述べることもあるが、あくまで“主役”の立場を尊重する。

 新喜劇を愛しているからこそ、後輩に熱いエールを送る。「先駆者の方、花紀京さんや岡八朗さんらが作ってくださった新喜劇があるからこそ、僕らは舞台ができている。感謝の気持ちだけは忘れてほしくないですね」。多くの先輩が築き上げてきた伝統と看板の重みをヒシヒシと感じている。

 今後の目標については先々のことは考えていないと前置きしながら「来年、還暦なので、いろんなイベントを打っていきたいですね」と目を輝かせる。「思い切り2時間半、ずーっと笑える芝居をやりたいです。もちろん、泣き笑いの芝居もですけど」。舞台に対する貪欲な姿勢、観客へのサービス精神は年齢を重ねても衰えることはない。

 ◆辻本茂雄(つじもと・しげお) 1964年10月8日生まれ。大阪府出身。NSC5期生。漫才コンビ「三角公園USA」でスタートし、1989年に吉本新喜劇入り。内場勝則、石田靖と3人でニューリーダーとして一時代を築く。新喜劇への愛情は人一倍 

(よろず~ニュース・中江 寿)

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