横浜銀蝿のJohnnyが復帰!レコード会社社長を辞任 嵐さんの遺言「お前がいなけりゃダメ」を胸に
ロックンロールバンド「T.C.R.横浜銀蝿R.S.」のギタリスト・Johnnyとして活躍後、所属するベルウッド・レコード社長を務めていた浅沼正人氏が社長を辞任してバンドに復帰し、今後はメンバーとして音楽活動に専念することを表明した。その背景には、昨年7月4日に肺炎のため死去したリーダーでドラマーの嵐(らん)ヨシユキさん(享年67)の遺志を継ぐという思いがあったという。
浅沼氏の社長退任は5月18日に行われた同社の株主総会で決定。2013年の社長就任から10年の節目だった。同氏は「いつもT.C.R.横浜銀蝿R.S.を応援して下さっている皆様へ」と題し、「任期途中ではありますが、代表取締役社長を辞任いたしました」と報告。再びJohnnyに戻ることを踏まえ、嵐さんへの思いをつづった。
「嵐さんの最後のステージとなった2022年4月17日ランドマークホールで、一人では立ち上がる事が出来なかった嵐さんを俺が車椅子を押してステージまで連れていきました。ステージ袖で出番を待っている時、嵐さんから突然『なあJohnny。横浜銀蝿はお前がいなけりゃダメなんだよ。ずっと一緒にやろうよ』と言われました。その時は、その後お亡くなりになるとは思っていませんでしたし、2年間期間限定での『横浜銀蝿40th』の活動が終わったばかりでしたので、また、45周年、50周年、機会があったらやりましょうよ、と話をそらしました」
「40th」とは21年の横浜銀蝿デビュー40周年を記念したツアーのこと。この間だけ、Johnnyは限定復帰したが、その後は社長の椅子に戻っていた。しかし、嵐さんの「お前がいなけりゃダメなんだよ」という言葉は心に深く刻まれていた。
Johnnyは「嵐さんは、その後さらに体調を悪くし入院、永眠されました。コロナの影響もあり、入院中お見舞いにも行けず、最後の会話はステージ袖での『Johnny。横浜銀蝿はお前がいなけりゃダメなんだよ』。この言葉は嵐さんからの遺言だと思っています。2020年から、横浜銀蝿結成40周年の活動を2年間行って、代表取締役の仕事とアーティスト活動の両立の大変さ、また会社のスタッフに迷惑を掛けたことを考えると、嵐さんからの遺言をすぐに答えることはできませんでした」と葛藤したことも明かした。
昨年10月18日に都内で開かれた嵐さんのお別れ会で、Johnnyは次のような言葉を残していた。
「嵐さんと出会わなければ、こうして音楽で一生メシを食う仕事に就いていなかったから、本当に感謝しています。嵐さんに出会って今の自分がある。67歳で亡くなったのは早いですけど、100歳まで生きればいいというわけではなく、どういうふうに生きたかということ。嵐さんは走り抜けてきた。俺もどこまで生きられるか分からないですけど、最後まで熱く生きたい」
この「最後まで熱く生きたい」という覚悟が、今回の「復活」という決断につながっていた。
ボーカル&ギターの翔、ベースのTAKUという2人のオリジナルメンバーと合流。「少し時間が経ちましたが、晴れて嵐さんからの遺言に答える事が出来ました。今後は二足の草鞋(わらじ)の一足を脱ぎ、T.C.R.横浜銀蝿R.S.の活動に専念いたします」。マネジメント業務は、同社が引き続き行う。
Johnnyカムバックのツアー「ロックンロールロード2023」が今年11月から12月にかけて東京、名古屋、大阪、札幌、福岡、横浜の順に6カ所で開催決定した。65歳、スーツから革ジャンに着替えて、ぶっちぎる。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)