北朝鮮で見たモハメド・アリさんの手品「うまいこと見せてくれた」河内家菊水丸が秘話明かす
7月1日の大阪府八尾市を皮切りに、4年ぶりに盆踊りツアーを開催する伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸(60)がこのほど、大阪市内でよろず~ニュースの取材に応じ、大ファンだった。アントニオ猪木さんとの交流秘話、モハメド・アリさんとのエピソードなどを明かした。
芸能界だけでなく、角界、スポーツ界など交流関係は幅は広い。少年の頃から大ファンだったアントニオ猪木さんも、その一人だ。「世紀の一戦」と言われた1976年のアントニオ猪木対モハメド・アリによる「格闘技世界一決定戦」。日本のトップレスラーとボクシング世界ヘビー級王者の激突は世界中から注目を集めた。2022年に79歳で亡くなった猪木さんについて「晩年はお会いできませんでしたが、枠を超えた発想というか、夢を実現させる力というか。だいぶ影響されました。原点ですね」と熱く語った。
親交のきっかけは、なんばグランド花月でのイベントだった。1990年にシアタープロレスとして、新日本のプロレスを開催。当時、参議院議員だったオ猪木さんと西川きよしのトークショー後に登場した。河内音頭で「新日本プロレス物語」を唄うつもりが、猪木さんが横で聞いてる姿を見て「猪木賛歌」に急きょ変更。即興だったが、猪木さんに大いに気に入られ、「いいですねえ。一緒にバグダッドに行きましょう」と誘われた。
同年に猪木さんが立ち上げた「平和の祭典」と銘打ったイベントでイラクのバグダッドに同行。湾岸戦争直前でイラク内の在留外国人は国外出国を禁止されており、在留日本人は事実上の人質となっていた。「人質解放の話は政治家がやると。民間交流として向こうの伝統音楽との共演を任されました」と振り返る。イベントは大成功し、在留日本人の解放につながった。
1995年には北朝鮮の訪問にも同行。ゲストとして招かれた「世紀の一戦」のアリさんのアテンドをすることになった。パーキンソン病に冒されていたアリさんは、リハビリのために手品を習っており、目の前でたびたび披露してくれたそう。「すごく仲良くさせてもらいました。同じネタを何度もうまいこと見せてくれましたね」と懐かしんだ。
9歳で父・河内家菊水に入門して、今年で還暦を迎えた。「地味な芸能ですけど、枠を超えていろんな音楽とコラボレーションとか、他ジャンルの人の交流とか」と意欲は衰えない。“猪木イズム”を取り入れながら、河内音頭の普及に努める。
◆河内家菊水丸(かわちや・きくすいまる)本名・岸本起由。1963年2月14日生まれ、大阪府八尾市出身。1972年に9歳で音頭取りの父・河内家菊水に入門。91年にアルバイト情報誌のCMソングで全国区に。現在も伝統河内音頭継承者として活動を続ける。
(よろず~ニュース・中江 寿)