ライオネス飛鳥、現在も「夜の銀座」で奮闘!還暦も「まだ60」クラッシュ・ギャルズ結成40周年に意欲
1980年代に社会現象を巻き起こした女子プロレスのタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」の結成40周年記念イベントが10月1日に横浜市の横浜武道館で開催される。長与千種と共に一時代を築いたライオネス飛鳥には、もう一つの顔がある。解散した2005年以来、18年間にわたって東京・銀座で会員制スナックのオーナーとして奮闘している。今月28日の誕生日で還暦を迎える飛鳥が、よろず~ニュースの取材に対し、現役時代や近況、今後について思いを語った。
80年に全日本女子プロレス(全女)に入門。83年に長与とクラッシュ・ギャルズを結成し、始動した翌年にWWWA世界タッグ王座を獲得。「炎の聖書」で歌手デビューも果たし、時代の寵児となった。だが、ブームの渦中、飛鳥はその状況を肯定できない部分を感じ、精神的なスランプに陥った時期もあったという。
「ビューティ・ペアみたいになりたいと思っていたので、夢はかなったんですけど、ある友人に『なんでプロレスラーなのに練習しないの?』って言われて、『えっ…』と、なったんですよ。練習もできない状況で、歌って試合してという毎日を送っていたので、その言葉から『なんで、こんなことやってるんだろう?』と疑問符が生まれて。会社にも相談せずに、試合後の(報道陣の)囲みでいきなり(芸能活動をやめると)言いました。会社に相談したら、『絶対だめだ』と言われるから」
その迷いを救ったのは長与の言葉だった。
「千種は1人で芸能活動を頑張って全女を支えてくれた、私が精神的に立ち直りつつあった時、千種のコンサートで最後のアンコールだけクラッシュとして歌うことになり、その時に、千種が汗だらけの顔で、『やっぱり(ソロでは)クラッシュに勝てないよ』と言ったことを受けて、心のもやが全て晴れたんです。千種の一言が大きかった」
89年に解散も、94年に現役復帰。ガイア・ジャパンでヒールとして長与と一騎打ちした翌年の2000年に「クラッシュ2000」として再合体した。首の故障や指定難病の靭帯骨化症などもあり、05年に2度目の解散をして完全引退。飛鳥は「2人そろって並んだ時の『パワー』はすごい、みんなに求められていると実感した。引退をクラッシュで締められたというのは意味があった」と振り返る。
新たな“リング”は「夜の銀座」になった。
「店名は『gangs』。深夜に(クラブなどから)アフターで来られるお客様がメインの会員制スナックです。『来店客ゼロを出さない』がモットーで、実際、お客様がゼロだった日は、この18年間ないです。99・9%、ほぼ毎日、店に出ています。プロレス時代から自分じゃなきゃできない仕事をずっとやってきたんで、いまもその感覚が強いかな。『飛鳥に会いに来る』という方も多いので、今も最前線にいたいなと」
経営者として学ぶ。
「20代のスタッフを抱えていると勉強になる。世代的にクラッシュ・ギャルズのことは知らなくて、面接で『私は昔、プロレスやってたんだけど、(ネットに)出てるから調べてみて』と伝えて知ってもらう感じですが、頑張ってくれてます。自分たちの時代は、課題ができない人は落ちていくんですけど、今は1人1人に焦点を当てて教えてあげないと長続きしない。千種も(プロレス団体を率いて)同じことを思っているでしょうが、若い子を育てながら、同時に自分も育てられている感じです。日々、酔っ払いですけど(笑)」
尊敬する先輩の言葉が座右の銘だ。
「(全女)入団前から巻きたかった赤いベルト(WWWA世界シングル王座)まで10年かかって、同期で一番最後だったんですけど、3年先輩のジャガー横田さんに言われた『一番でなかったらビリと一緒だ』という言葉で育てられた。それは水商売をやっている今も変わらない。ジャガーさんの言葉が全てです」
年を重ねると体のダメージが表面化する。17年に両膝の手術を行った。「30年もつ」という米国製のオリジナル人工関節を入れ、「痛みから解放された」という。21年には右手親指関節の手術を受けた。そして、還暦を迎える。
「人生の節目でもあるので、自分の店でパーティーもやるんですけど、(赤い)ちゃんちゃんこは着ないと言いつつ、やっぱり用意してもらおうかなと(笑)。『もう60』じゃなく、『まだ60』という気持ちです。『まだまだ、できるぞ』と。年々、健康でいたいという気持ちが強くなっていて、毎日、起きたら体重や体脂肪、体温を計っています。体幹を鍛え直そうと、週1回、パーソナル・トレーニングもやっています。店は、あと10年はやりたいですね」
40周年イベントの会場は、引退した横浜文化体育館(20年閉館)の近くだ。
「最初は都内での開催を考えていたんですけど、横浜武道館が開いていた。やはり、縁というか意味があり、運命の歯車が合っているのかなと思いました。当日は、みんなで同じ空気を吸ってあの時に戻ってほしい。そして、翌日の10月2日からまた新しい目線で物事を捉えてもらえたら」
16歳で身を投じたプロレス人生。60歳はまだ通過点だ。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)