忠犬ハチ公の先輩が北海道にいた!大雪の中、徹夜で飼主を温めた「忠犬ポチ」語り継がれる感動の伝説
2023年11月に生誕100年を迎える「忠犬ハチ公」。昭和のはじめ頃、亡くなってしまった飼主を10年間に渡り渋谷駅で待ち続けたハチ公の物語は、犬と人間の種族を超えた感動的なエピソードとして日本のみならず世界中でも愛されている。
だが、日本の「忠犬伝説」は何もハチ公だけではない。実はハチ公の物語から数年前、北海道で「ハチ公の先輩」とも言うべき名犬がいたのである。
大正時代、北海道真狩村の郵便局には「ポチ」という名前の北海道犬が飼われていた。飼主は真狩村郵便局の局長・村上政太郎氏で、ポチは村上局長と一緒に郵便配達へ出かける事が多かった。1918年(大正7年)1月16日の夕方、村上局長はポチと一緒に郵便配達へと出かけた。だが、この日は悪天候で大雪は次第に村上局長の体力を奪い、ついに局長は雪の中に倒れ込んでしまう。命の危機に晒されている局長を助けるためポチは局長の身体に寄り添い身体を温めようとしたが局長は動けず、ポチは助けを求めるため局長の元と郵便局とを往復した。だが、ポチの頑張り空しくその日はついに助けは来なかった。
翌朝、行方不明の局長を探しに来た局員達は局長とポチを発見する。だが、局長は既に凍死しており、生き残ったポチは局長の身体を温めるように隣に身を寄せてジッとしていた。ポチは全力を尽くして、自分の主人を守ろうとしたのだった。
以上が真狩村に伝わる「忠犬ポチ」の物語である。だが、感動の物語はこれだけではない。
飼主である局長を失ったポチはその後、札幌の児童福祉施設「報恩学園」へと引き取られ、1927年(昭和2年)に17歳の生涯を閉じた。ポチは報恩学園の園児たちの人気者であり多くの児童がポチと触れ合い、愛される存在であったという。
ポチの忠犬ぶりは当時、北海タイムスなどの新聞でも紹介された事もあり、死後は剥製となって同学園内に保管されていた。だが、ポチの剥製はその後、ひょんな事から北海道を去る事になる。
1965年(昭和40年)10月に雑誌『小学三年生』(小学館)にポチのエピソードが紹介された。それを契機に東京都千代田区の逓信総合博物館(現在閉館)へ収蔵される事になりポチの剥製はその後、長年に渡り逓信総合博物館に展示されていた。そして20年が経過した1987年(昭和62年)にポチの剥製にまたしても思いがけぬ転機が訪れる。
社会科の授業の中でポチを知った真狩村の高校生達が東京にいるポチの剥製との対面を望んだ。そして彼らは東京へ修学旅行に行った際、「地元のヒーロー」であるポチとの初対面を果たす。その際、高校生たちの中から「ポチを故郷へ帰してあげたい」という声があがり、逓信総合博物館の当時の館長は彼らの願いを聞き入れ剥製を真狩村へ返す事を決めたのだ。ポチが真狩村へ帰ったのは村上局長が亡くなった1918年(大正7年)以来、実に70年ぶりの出来事であった。
遭難死した局長とポチを迎えに来たのは真狩村の郵便局員達だった。だが、今度は故郷・真狩村の高校生達が一人ぼっちだったポチを迎えに来たのである。
「忠犬ポチ」に詳しい真狩村教育委員会によると「現在もポチの剥製は真狩村の公民館内にあります」とのことである。また、村のHPや公民館内で閲覧できる忠犬ポチの紙芝居は真狩高校郷土史研究会が製作したものであり、ポチの物語は令和時代の現在に至るまで真狩村内で語り継がれている、という。
長い旅は終わり、ポチは住民に愛されながら故郷の真狩村の大地を見守り続ける事だろう。
(よろず~ニュース特約・穂積 昭雪)