戦後最大の脚本家・橋本忍の代表作「砂の器」は競輪の戦法が下敷きだった!評伝著者の春日太一氏が描く秘話
「羅生門」「七人の侍」「砂の器」「八甲田山」…。映画マニアでなくとも、タイトルを聞いたことがあるという人は少なくないだろう。これらの作品を執筆し、映画史に偉大な足跡を残した映画人の評伝「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」(文藝春秋)が27日に発売される。著者で時代劇・映画史研究家の春日太一に話を聞いた。(文中敬称略)
橋本忍は1918(大正7)年、兵庫県神崎郡鶴居村(現・市川町)生まれ。姫路市で働きながら執筆した脚本が後に黒澤明監督の「羅生門」(50年)となってデビュー。上記の有名作のほか、「私は貝になりたい」「白い巨塔」「日本のいちばん長い日」「日本沈没」「八つ墓村」といった作品を生み出した。「砂の器」をはじめ、「張込み」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「ゼロの焦点」「霧の旗」「影の車」という松本清張原作6作品の評価も高い。
1977年生まれで当時30代の春日が90代の橋本と取材で向き合ったのは2012年2月から14年3月までの計9回。18年に橋本は100歳で死去したが、春日は本人の証言、関係者への取材、遺族から譲り受けた資料を元に、全480ページの大作を上梓した。取材開始から11年。春日はよろず~ニュースの取材に心境を吐露した。
「橋本氏ご自身への取材した内容、没後に発見された創作ノート、いずれも膨大な分量であり、まずはその解読と検証に時間を要しました。さらに、橋本氏は生前、あたかもご自身の脚本かのように本の構成を指定なさったのですが、それでは収まらない部分が多々あり、最適な構成を組み立てるまで悩み抜きました。この10年近く、橋本氏について考えることが当然の日課であったので、書籍になった今も冷めやらぬものがあり、『終わった』という実感はなく、『まだ続いている』という不思議な感覚があります」
取材現場での巨匠の姿とは。春日は「ご自身のエピソードにおいても、その語り口はあまりに見事で、90歳を越えてもなお現役としてのお力をお持ちなのだと感嘆しました」と振り返る。
数多ある橋本作品の中から、ここでは3作品に絞って紹介しよう。代表作「砂の器」(74年)、怪作「幻の湖」(82年)、隠れた名作「首」(68年)だ。
【砂の器】競輪の戦法がベースにあったという。「非常に競輪狂だった」という橋本の情熱が作品に反映された。
「砂の器」のクライマックスは、父(加藤嘉)と幼い息子がお遍路姿で流浪する旅路の回想映像に、加藤剛が演じる成長して音楽家になった息子(自身の過去を知る元警官を殺害した容疑者)によるテーマ曲「宿命」が四季折々の風景の中で流れ、そこに捜査会議でこの父子の心情を代弁する刑事(丹波哲郎)のセリフが重なる場面。橋本はそこで競輪の戦法「まくり」を応用したのだという。
「出だしはブラブラ、捜査会議が始まってラスト1周の鐘が鳴り、逮捕状請求のセリフで2コーナー、音楽会でタクトを振り下ろして3コーナー、それから父子の旅、ここでゴールまで一気に押していってあとは逃げ切るだけ」(橋本)。春日は「橋本に言わせると、この『砂の器』の構成そのものが、競輪を下敷きにしている」と記す。
この画期的な本書の内容について、春日は当サイトに「さまざまな作品の背景に競輪の存在があるのですが、それにはひたすらビックリしました。『えっ、この作品も競輪が関わっていたのか』と。その驚がくを読者の皆さまに追体験していただけるよう心がけて書きました」と明かした。
【幻の湖】滋賀・雄琴の特殊浴場に勤務する女性が、殺された愛犬の復讐をする物語。主演女優が出刃包丁を手に琵琶湖周辺を疾走し、同僚の“泡姫”である米国人女性が実はCIAのスパイで、さらに時空を超えて戦国時代の武将や宇宙空間が絡むといった奇想天外な作品だ。橋本が脚本だけでなく、製作、原作、監督も兼ねた東宝の創立50周年記念作品だったが、興行的には失敗し、後年、好事家からカルト映画的な見方をされている。
なぜ、このような作品を書いてしまったのか。答えは「犬」だった。「僕だったら犬が殺されたら復讐やるよ」という橋本の言葉を家族が証言する。また、説明過剰なセリフが多く、脚本に切れ味を欠いたことについては、全てを一手に担ったため、内容をそぎ落とせなかったと春日は解説する。
だが、そのカオスの中に魅力を感じるファンも多い。春日は「『幻の湖』はこれまで名作ばかり書いてきた橋本忍が突如として生み出した怪作です。なぜ、このような作品を作ってしまったのか、気になる方は少なくないでしょう。今回の本では、その製作の全貌が明らかになります」と指摘した。
【首】くしくも、本書発売時に公開中の北野武監督最新作と同タイトルだが、こちらは55年も前に公開され、今年9月に東宝から初DVD化。約半世紀をかけて後追い世代に“発見”された傑作だ。
戦時中、警察の取調中に病死したとされる被疑者の死因に疑問を抱いた弁護士(小林桂樹)が土葬された墓を掘り起こして首を切り落とし、法医学者の元へ運び、暴行致死だったという真相を暴くストーリー。特に隠した首を運ぶ満員列車内での所持品検査のスリルは手に汗握る。
春日は「橋本作品は大ヒット作や不朽の名作だけでなく、小作品もまた見応えがあります。『首』がまさにそう。特に終盤のサスペンスとユーモアを交えた展開は、ヒッチコックばりの面白さがあります」と当サイトに解説した。
以上の3作に限らず、本書では全作品の舞台裏や秘話が描かれる。春日は「橋本氏の描いてきた作品の多くは重厚な悲劇です。にもかかわらず、本書で明らかになるのは、その発想の原点はいつも驚くほど俗っ気にあふれているということです。それこそが橋本氏が後進たちに口伝したかった『創作のあるべき姿勢』でした」と補足した。
発売後、多彩なゲストを迎えたトークイベントが行われる中、競輪予想家でもある芸人・玉袋筋太郎のゲスト回が12月1日に東京・神保町の書泉グランデで開催。こちらもまた気になるところだ。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)