伊集院静さん、24歳で早世した岡潤一郎騎手の墓参り後に明かした死生観 先輩・山口洋子さんに弔辞も
直木賞作家の伊集院静さんが24日に肝内胆管がんのため死去した。73歳だった。
初めてお会いしたのは、2015年1月28日、東京・虎ノ門のホテルオークラで行われた山口洋子さん(14年死去、享年77)のお別れの会。作詞家としてヒット曲を生み出した直木賞作家…という共通点がある先輩に向け、伊集院さんは弔辞を読んだ。「とにかく、“女っぷり”のいい女性でしたので、皆さんも(天国に)呼ばれないようにお気をつけて」。ユーモアとブラックジョークを交えて会場を和ませ、笑顔で故人を送り出した。
その流れで単独取材の場へ。指定された東京・神田駿河台の「山の上ホテル」に向かった。仙台在住の伊集院さんにとって東京の定宿だった。
同ホテルは明治大学のある表通りから路地に入り、坂を上った高台にある。1954年開業で、本館は戦前(1937年)に完成したというクラシカルな造り。川端康成や三島由紀夫といった文豪に愛されたという歴史を感じさせるホテル1階にあるコンパクトな会議室に通された。
その前年末に出版されたエッセイ集「それでも前へ進む」(講談社)とコラボする形で、記事は2-3月に同名タイトルの7回連載としてデイリースポーツ紙面に掲載された。阪神・淡路大震災と自身も被災した東日本大震災をめぐる思いを聞き書きさせていただいたが、「2つの震災」だけでなく、若くして亡くなった身近な人にも話は及んだ。前妻の女優・夏目雅子さん(享年27)、海で遭難して17歳で亡くなった弟さん。そして、24歳で早世した競馬騎手・岡潤一郎さん…。
岡さんは88年デビュー。次代のホープと期待されたが、93年1月の京都競馬第7レースで落馬した際に後続の馬脚が頭部を直撃。意識不明の重体に陥り、翌月死去した。
「1991年、岡君にとって最初で最後のG1制覇となったレースがエリザベス女王杯だった。彼は、あの時、騎乗していたリンデンリリー号のカードを私にくれた。『あなただけに』と。“彼女”はたくさんの競走馬を産んだから、私は今でもリンデンリリーが“おばあさん”だという馬は、買おうかという気になる」
岡さんが亡くなって1年半後、1年先輩の武豊騎手から「やっと潤一郎の墓参りに行けました」と伊集院静さんに電話があったという。武さんと量子夫人(元歌手・佐野量子さん)の挙式で、伊集院さんは妻の女優・篠ひろ子さんと媒酌人を務めた間柄だ。
岡さんが眠る墓は故郷の北海道・様似(さまに)の小高い丘の上にあるという。伊集院さんは取材時、「5年ほど前(2010年頃)に初めて墓参りした」と明かした。
「お母さんは私の顔を見ると、泣かれてね。実に十数年を要した墓参りだった。気持ちの整理には時間がかかる。人の死というものは、そういうものだ。だから、すごくうまくできていると思う。三回忌、七回忌、十三回忌と…。やはり十三回忌を過ぎると、一つの区切りだね」
そうして取材を終えたのは夕方6時くらい。ぼちぼち、夜の街に向けて足がソワソワしている頃かと思い、“銀座ネタ”として「『姫』には行かれたのですか?」と尋ねた。
「姫」とは銀座で山口さんがママを務め、著名人が足繁く訪れたという伝説の高級クラブ。伊集院さんは記者の“愚問”に無言で小さく肯いた。答えるまでもない。それより、心ここにあらずという体で(あくまで記者の主観)、「じゃあ、よろしく」と手を上げながら、とっぷりと日の暮れた真冬の街に“出陣”して行かれた。
伊集院さんは当時65歳。「私に言わせると、今の75歳くらいが昔の還暦でね。60歳以上を『老人』と呼ぶ時代は終わっているのだと思う。確かに60歳は暦が一周した人生の区切りではあるが、近い将来、二暦の120歳なんて人が出てくるかもしれない。還暦で人生やっと半分という、今、そういう感覚でいるのがいいと思うね」。そう持論を語り、自身は「60歳になってから仕事を3倍に増やした」とも付け加えた。
だが、「昔の還暦」と定義された「75歳」には2歳及ばず、伊集院さんは旅立った。山の上ホテルも来年2月で休業するという。時の流れを痛感した。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)