デビュー40周年のアニソンシンガーMIQ、楽しかった水木一郎さんとの交流も母の急逝で環境激変
「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」など多くの名作アニメの楽曲で知られる歌手のMIQ(ミク)はデビュー40周年を迎え、今も力強い歌声を響かせている。コロナ禍で開催が延びていた40周年記念コンサートは東京、大阪での開催が来春(1月7日、東京・きゅりあん小ホール/3月9日、大阪・アメリカ村BEYOND)に決まった。1982年に「戦闘メカザブングル」の挿入歌「HEY YOU/わすれ草」でデビュー。40年の歩みでは、アニソン歌手としての成長と停滞、復活、家族との別れもあった。MIQに当時の思いを聞いた。
日本武道館で開催された国内最大級のアニソンイベントで「HEY YOU」を熱唱したMIQ(当時はMIO)は、順調に話題のアニメ作品に関わっていった。「ダンバインとぶ」(1983年「聖戦士ダンバイン」OP曲)、「エルガイム-Time for L-GAIM-」(1984年「重戦機エルガイム」OP曲)などを歌唱。ほどなくソウルバンド「EZ(イージー)」の活動からは離れたが、音楽フェスでスタイリスティックス、バブルガムブラザーズ、ムーンライダーズらと共演するなど、女性シンガーとしての幅広い活動でステージに立ち続けた。
「アニソンでは想像を超える支持を受けて、人気があったので面白かったですね。ソロになりましたが、アニソン以外のステージにも変わらず立ち続けていました。共通しているのは思い切って歌えること。自分に合っていました」
「不思議 CALL ME」(1984年「星銃士ビスマルク」OP曲)、「パトレイバー/正義が恋人」(1988年「機動警察パトレイバー」イメージアルバム)など順調に仕事を重ねてきたが、90年代に入り、当時の所属事務所が政界汚職事件のあおりを受け消滅。フリーとして活動し、ボイストレーナー、アイドルの楽曲収録時に立ち会い歌唱指導も行っていた。
1996年に「嵐の中で輝いて」(「機動戦士ガンダム第08MS小隊」OP曲)でデビューした米倉千尋のファーストアルバムの収録では「難しい曲のガイド歌唱を担当しました。彼女は私のことを知らなくて、しばらくしてアニソンのステージで一緒になった時、とても驚かれました」と、楽しそうに振り返った。
1994年から2年連続で米ニューヨークの大規模アニメイベントにゲスト出演した。主催者はフリーで活動していたMIQの連絡先を調べても分からず、国内の大手レーベルを介してオファーが届いたという。「MEN OF DESTINY」(1992年「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」OP曲)、ヨドバシカメラのCM曲などを担当していたが「フリーで個人での活動だったので、少し足踏みしていたのかもしれない」と当時を回想した。
転機は米倉とも後に共演したアニソンイベント・スーパーロボット魂だった。1997年の第1回大会では水木一郎、堀江美都子、影山ヒロノブと共演。以降はこの4人をベースに共演者が増え、恒例のビックイベントに成長した。新たな所属事務所も決まり、日本のサブカルチャーが一層評価されるにつれ、海外でのステージも増えていった。2022年12月に死去した水木一郎さんとは親交が深かった。
「よくいじられましたね。私はこびない性格なので『生意気なんだよ』と、楽しそうに言われました。アニキによると、私は水木さんの奥さんと性格や雰囲気が似ていたそうです。遠藤正明くんたちと話をしていると『どうしてオレに話しかけてこないんだ』と笑顔でしかられたこともありました」
そんな順調だった活動は、2001年に急変した。故郷の鳥取で父と暮らしていた母が3月に79歳で死去した。MIQは東京で生まれたが、2歳で父の弟夫婦から養女として引き取られた一人娘だった。
2月に親戚からの連絡で母のガン闘病を知らされた。医者からは「一週間もたない」と通告された。前年にMIQは携帯電話の番号を変更していた。父の勘違いで古い番号に連絡してもつながらず、夫婦で娘が海外公演に出かけていると思い、我慢を続けていたという。当初の余命見込みを超え、MIQは約1カ月つきっきりで看病を続けた。仕事で一時東京に戻った際、まるで娘を悲しませないかのように、ひっそりと母は亡くなった。
「とてもさっぱりした性格で、父のことも『私がいるから大丈夫。気にせず頑張って』と話すような母でした。大好きでした」
そして当時85歳の父が残った。悩んだ末、半年で東京での仕事に一区切りをつけ、同年9月、鳥取に拠点を移した。父との二人暮らしが始まった。
(よろず~ニュース・山本 鋼平)