トイレ行列で幼い子ども連れの母から「順番代わって!」正論返し?悲痛な叫び?譲る?…究極の選択を考える
トイレの行列で小さな子を連れた母親に「順番を代わって」と“割り込み”を頼まれた際、自身も“大変な状況”にあった時は非常に困った事態に陥る。社会において、子どものいる親子を優遇すべしという考え方はあるにしても、そうしたケースにはどう接していくべきなのか?「大人研究」のパイオニアとして知られるコラムニストの石原壮一郎氏がその対応策を提言した。
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【今回のピンチ】
渋滞でやっと着いたPAの女子トイレが大行列。お腹が極限状態で、やっと次は自分の順番となったときに、小さな子どもを連れた母親が「漏らしそうなので代わって」と……。
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そのお母さんは、かなり焦っています。子どもは4、5歳でしょうか。涙目で「ウ○チ出る~」と叫びながら足踏み。自分が極限状態じゃなければ、迷わず「ど、どうぞ」と順番を譲っていたでしょう。
しかし、漏れそうなのはこちらも同じ。お腹の叫び具合からすると、譲ったら取り返しのつかない悲劇につながりません。しかし、譲らなかったせいでその子が漏らしたら、それはそれで胸が痛みます。譲るも地獄、譲らぬも地獄。まさに絶体絶命の大ピンチです。
瞬時の判断で「申し訳ないけど、自分のお腹の都合を優先しよう」と決断した場合、どんな言い方をすればいいか。
「順番を守ってください」という正論は無力だし、ちょっとマヌケです。そのお母さんだって、ギリギリの状況に追い込まれてのことで、ルール違反は百も承知のはず。悲痛な叫びを上げている人に平時の常識を押しつけるのは、人としての誠実さや想像力に欠けた対応だと言えるでしょう。
悲痛な叫びに対抗するには、こちらも悲痛な叫びを上げるしかありません。
「ご、ごめんなさい。わ、私も、す、すでに、茶色い悪魔が、と、飛び出す寸前で……。こ、このままだと……」と、顔をゆがめて身体を思いっ切りくねらせながら訴えます。その迫力に相手が怯(ひる)んで黙ったら、こっちの勝ち。もちろん、そこで油断せず、最後の最後まで全力で飛び出しを阻止しましょう。
事なきを得た場合、ピンチの子どもを見捨てて自分が助かろうとしたことに、罪悪感や自己嫌悪を覚えそうです。しかし、大人が漏らした場合の心理的ダメージや現実的な影響の大きさは、子どもとは比較になりません。その事態を想像して自分を許しつつ、そっと手を合わせて「ごめんね。おかげで助かったわ。ありがとう」と呟(つぶや)いておきましょう。
一方、もう少し余計に待っても耐え切れる可能性に賭けて、「ど、どうぞ」と順番を譲る道もあります。自分の後ろで行列を作っている人に舌打ちされる可能性も大いにありますが、それは覚悟の上。冷たい視線やお腹の苦しみと引き換えに、「人助けができた」という満足感を抱くことができます。
苦難を乗り越えて事なきを得ることができたら、さらに深い愉悦を味わえるはず。仮に乗り越えられなかったとしても、「我が人生に悔いなし!」と胸を張って自分を賞賛することはできます。ま、いろいろ大変でしょうけど、命に関わるわけではありません。
小さい子を連れている親は、常に極限状態にあります。できる範囲で助けるのは当たり前。少しぐらい意に沿わない態度を取ったからといって、目を吊り上げて「子持ち様」だの何だのと非難するのは、あまりにも心が狭すぎます。「責めやすい対象」に言葉の刃を向けて日頃のうっぷんを晴らすのは、漏らすよりも恥ずかしい行為と言っていいでしょう。
(コラムニスト・石原 壮一郎)