芝居小屋の「奈落」で生まれた役者・松井誠、8月にロス&ベガス公演、大衆娯楽界スターの「原点」
演出、脚本、振付などを一手にこなし、独自の世界観にあふれた舞台を作り上げている大衆娯楽界のスター・松井誠が8月4日にロサンゼルス、6日にラスベガスで公演を行う。花魁(おいらん)など和のテイストをふんだんに盛り込む米国ツアーを前に、松井がよろず~ニュースの取材に対し、その経緯や舞台への思い、生い立ちから役者としての原点、今後について語った。
ロサンゼルス公演は2015年以来、2度目の開催。米テレビ業界で最も権威のある「エミー賞」を03年に日本人として初受賞した世界的ヘアメイクアップアーティストのカオリ・ナラ・ターナーさんの招致により実現した。ラスベガスは初進出となる。
「ロスの前回公演では日系2世、3世の方の熱量が日本とは全然違って、皆さん立ちっぱなしでした。今回は約1000人の会場で1時間10分くらいの公演で7人が出演します。ラスベガスはコンパクトに300人くらいの会場。元女優の三条さんという方がラスベガスでカラオケ教室をされていて、ナラさんから私にお話があり、三条さんとつながった。主催の方が歌って、私は女形で一緒に踊るという、ロスとは違ったショー内容になります」
「三条さん」とは、三条魔子の芸名で1960年に新東宝でデビューし、大映に移籍後は62年に橋幸夫との共演で大ヒットした映画「江梨子」のタイトルに合わせて改名した三条江梨子さん。歌手としても浜田光夫とのデュエット曲「草笛を吹こうよ」がヒットした。71年に芸能界を引退後、米国に移住。今回、意外な接点から、伝説の元女優と共演することになった。
渡米前、松井は7月19日から21日まで自身のプロデュース公演を東京・浅草公会堂で開催。2本の芝居では男女の主役を巧みに演じ分け、グランドレビューショーでは圧巻の踊りと共に衣装の早変わりでも魅せた。出演した女優・岡元あつこは「男としても色気があり、女形も色っぽくて素敵。演出して踊って、音響や衣装も考えて…、いつ寝てるんだろうと思わせるバイタリティがある」と座長の松井を評した。
体の芯まで芸事が身についている。1960(昭和35)年、芝居小屋で生を受けるという、まさに役者として運命的な出自があった。
「私は、(福岡県)大牟田にあった芝居小屋の奈落(※舞台や花道の床下のスペース)で生まれたんです。女剣劇だった母親が身重のままギリギリまで舞台に出ていたのですが、奈落で産気づいて、4月8日、お釈迦様の日に8か月で出産した。その子が私です。0歳の時に捨て子の役で舞台に出ました」
だが、10代半ばで一座から抜け出した。
「15歳で家出をし、東京で水商売をしていました。売り上げのため無理してお酒を飲む日々。血を吐いて胃潰瘍と十二指腸潰瘍を切った。それが16歳の時。手術後、東京の帝劇で『屋根の上のヴァイオリン弾き』(森繁久彌主演)を見てカルチャーショックを受けた、自分が育った舞台は観客が150人くらいの小屋で、お客さんは芝居を見ながら飲み食いできるので、うるさくてしょうがなかった。そういう小屋で育ちましたので、『帝劇では2000人ものお客さんがどうしてこんなに静かに芝居を見ているのだろう』と衝撃を受け、『よし、こういう大劇場の座長さんになろう』という目標を10代で掲げました」
そこが原点。再び“板の上”に戻った。
「無謀にも25歳で2000万円という借金をして、劇団をつくった。40歳から、明治座(東京)、新歌舞伎座(大阪)、御園座、中日劇場(名古屋)と、東名阪の大劇場で座長をすることができました」
テレビでは大河ドラマの「炎立つ」(93年)と「風林火山」(07年)、シリーズものでは「大岡越前」、「水戸黄門」、「科捜研の女」などに出演したが、軸足は舞台に置く。
「劇団旗揚げから来年で40周年。65歳の一区切りです。後はどこまでやれるか。体のことは分からないですから、1年1年を大事にしたい。今回のアメリカ公演も、向こうの方にも喜んでいただけるショーを頑張って参ります」
日本人メジャーリーガー・大谷翔平の活躍に沸くロスとエンタメの本場・ベガスへ。“奈落で生まれた男”が「花魁が舞う米国の夏」を演出する。
(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)