幻の名盤「ピラニア軍団」が再発売!伝説の俳優と音楽家がコラボ 意外な舞台裏、渡瀬恒彦も後押し

 1977年にリリースされた幻の名盤「ピラニア軍団」が28日、アナログのLPレコードと2枚組CDとしてキングレコードから再発売される。入手困難だった超レア作の復活を前に、東映映画の巨匠・中島貞夫監督と共にプロデュースを担当したフォークシンガーの三上寛に思いを聞いた。(文中敬称略)

 三上は俳優として75-76年に「新仁義なき戦い」シリーズ2作(深作欣二監督)や中島監督の「狂った野獣」「沖縄やくざ戦争」など東映映画に出演。そこで出会った川谷拓三や志賀勝ら東映の大部屋俳優たちによって75年に結成された「ピラニア軍団」の16人が同作に歌手として参加。中島監督と共に軍団結成時の発起人となった俳優・渡瀬恒彦も「応援団」として加わった。

 YMO結成前の坂本龍一が編曲やキーボード演奏で参加するなど、一流ミュージシャンによる洗練された音源に、軍団メンバーの泥臭い歌が絡み合い、奇跡的な化学反応を起こした。

 「深作監督と出会って『お前、(役者)やってみる気あるか』と言われて、東京から京都撮影所に恐る恐る行ったら、大部屋の役者さんたちに同級生みたいな感じでよくしてもらった。中島監督はピラニア軍団を自宅に集めて酒盛りするのが好きでしてね。俺もみんなにお礼できないかと思って、中島監督に相談したら、『寛ちゃん、音楽やってんだから、歌作りなよ』ということに。当時、自分も26-27歳で一番元気な時でしたからね。すごく集中力があった」

 全13曲中、11曲が三上の作詩・作曲。「役者稼業」(志賀)、「 俺(れーお)」(成瀬正)、「だよね」(川谷)、「有難うございます」(室田日出男)」、「関さん」(野口貴史)、「菜の花ダモン」(橘麻紀)といったソロ曲と並んで、小林稔侍や片桐竜次ら6人が順番に歌った曲「ソレカラドシタイブシ」に絶妙の合いの手を入れた渡瀬も三上を後押しした。

 「渡瀬さんとはよく一緒に飲んだ。『寛ちゃんは歌で勝負しないと駄目だよ』という一言が残っていてね。役者か歌かで悩んでいた時期だったけど、やっぱり自分の音楽でケリを付けようと思ったのが、渡瀬さんの一言でした。それくらい説得力ありましたよ」。そう振り返った三上はピラニア軍団を「オタクの元祖」と定義づけた。

 「学生運動の時代が終わり、若者たちが髪を切って、俺のライブにもパタッと客が来なくなった70年代は東映に助けられ、80年代以降は(後追い世代の)オタクの人たちに助けられた。俺の中古レコードが彼らに5万円とか10万円とかで取引されて、『えーっ』と思ったわけですよ。それから、お客さんであるオタクとの付き合いが始まった。ピラニア軍団もある種、オタクの元祖だったと思う。室田さんは新宿のジャズ喫茶でボディーガードをやっていた人で、当時のマイルス・デイビスの新譜なんかをいち早く聴いていたから音楽の話をするといきなり乗ってくる。野口さんは映画の本をいっぱい持っていて詳しくてね。拓ボン(川谷)は『台本は100回読まないとダメだよ』と言う人で、俺が『そんなに読む必要ないだろう』と言ったら怒ったりする“役者オタク”だった」

 中島監督は昨年6月に88歳で死去。渡瀬は17年に72歳で亡くなった。軍団メンバーも川谷(95年、享年54)、室田(02年、享年64)、志賀(20年、享年78)、野口(20年、享年81)らが鬼籍に入った。この夏、三上は都内のスタジオで再発盤のマスタリング(※最終仕上げの工程)に立ち会い、遺された歌声を通して亡き盟友たちと再会した。

 「今、改めて聴くと、味があるというか、深いというか、難しいものに挑戦する馬力と集中力がすごいなと感じた。斬られ役でちょっとしか出番がない、セリフもない役者の本音が出ていて、他ではできない歌になってますよ。私は今74歳だけど、このレコード、やってよかったと思いましたね。ドンと一発、くさびを自分の中に打ったという感じがします。今の若い人たちにも伝わるものがあるんじゃないかと」

 今年でデビュー55周年を迎えた三上。現役としてライブ活動を続け、親子ほど年の離れたバンドとの共演にも積極的だ。不滅の“ピラニア魂”で歌の力を後世に継承する。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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