大河『光る君へ』では描かれない藤原伊周が子供たちに残した恐ろしい「遺言」 識者が語る

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第39回は「とだえぬ絆」。藤原道長のライバル・藤原伊周の死が描かれました。寛弘6年(1009)1月、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)と生まれたばかりの皇子(敦成親王)の呪詛事件が発覚します。呪詛事件の「首謀者」の延長には伊周がいた事から、伊周は朝参を約3カ月停止されました。

 『栄花物語』(平安時代の歴史物語)には、そうした時、伊周は身を慎んで生活していたようですが、世間の者はあれやこれやと評判を立てていたとのこと。よって、伊周は世間体を恥じ、悩んでいたようです。そのうち、気分が優れなくなり、食事はするものの、その様は慌ただしいものでありました。

 精神的に追い詰められていたのでしょう。伊周はかつては水をよく飲み、食事も驚くほどしていたようですが、この頃になると、昔の面影なく、どんどん痩せていったのでした。太っていたのが、痩せていったのです。「光る君へ」において、伊周は俳優・三浦翔平さんが演じていますが、精神的に追い詰められ、やつれていく伊周をよく演じられていました。

 明けて寛弘7年(1010)1月にもなると、伊周の病は一層重くなっていきます。伊周は自らの死を悟ったのでしょう。枕辺に娘2人と息子(道雅)を呼び、次のような内容を遺言します。それは、娘2人には宮仕えしてくれるな(女官となるな)。息子には、他人に追従するな、追従するくらいなら出家せよということでした。宮仕えと聞けば、現代においては名誉な事とのイメージですが、当時は恥ずべきものとの考えがあったのです。

 伊周は自らの遺言を破れば「恨みに思う」「片時も生かしておかん」と子供たちに語っています。怨霊になり、とり殺すという事でしょうか。ドラマでは描かれませんでしたが、凄まじい言葉です。

 親(伊周)に恥をかかせるなということでしょうが『栄花物語』の逸話からは、伊周の強烈なプライドが浮かび上がってきます。同月、伊周は37歳の生涯を閉じます。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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