大河『光る君へ』藤原道長の「望月の歌」に実資が応じなかった真相 下手だからではない!? 識者語る
NHK大河ドラマ「光る君へ」第44回は「望月の夜」。藤原道長が有名な「望月の歌」を詠む場面が描かれました。寛仁2年(1018)10月16日、藤原道長とその妻・倫子との間に生まれた威子の立后の儀式が行われます。威子は、後一条天皇(一条天皇と道長の娘・彰子の子)の中宮となったのです。儀式が終わり、土御門第(道長の邸宅)で諸卿を招き、祝宴が開催されます。
その際に道長は「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば」(この世において、自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、全てが満足にそろっている)という有名な和歌を詠んだのでした。
この歌は、宴席にいた公卿・藤原実資の日記『小右記』に記されています。道長はこの歌を詠む前に、自分が和歌を詠んだ後に、それに応じて欲しいということを実資に伝えています。
ところが実資は「どうして自分のようなものが、それに応じることができるでしょうか」と断っています。その後、道長は、事前に準備しておいた歌ではなく「誇った歌だ」と言いつつ「望月の歌」を詠むのでした。「望月の歌」を聞いた実資は「優美な歌です」と感想を言いつつも、道長の歌に応じることをしませんでした。代わりに「応える術を知らないので、皆で唱和しましょう」と提案するのです。そして諸卿らは道長の歌を数度、吟詠するのでした。栄華を誇った歌を諸卿が唱和する。道長は気分が良かったことでしょう。
道長は自らの歌に応じなかった実資を責めることはありませんでした。実資が道長の歌に応じなかった理由を「こんな自慢たらしい下手な歌に付き合えないというところか」と推測した書籍もあります(朧谷寿『藤原道長』ミネルヴァ書房、2007年)。
しかし、前に見たように、実資は道長が歌を詠む前から、歌に応じることを断っています。よって、「こんな自慢たらしい下手な歌に付き合えない」との理由で応じなかった訳ではなさそうです。道長の行動について日記に非難の言葉を書いてきた実資ですが、「望月の歌」に関しては、否定的なことは書いてはおりません。実資は道長の歌を本当に「優美」と感じており、それに自分などが応じることはできないと思っていたのかもしれません。
▼主要参考文献 ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
(歴史学者・濱田 浩一郎)