松田優作さんの「レディ・ジェーン伝説」 盟友の殺陣師が明かす常連バーでの秘話 没後35年も存在感は健在

 1970年代から80年代にかけてカリスマ的な人気を博した俳優・松田優作さん(享年40)が1989年11月に死去してから35年の月日が流れた。生涯唯一の監督作「ア・ホーマンス」(86年)で殺陣師(たてし)として初起用され、現在も一線で活躍する二家本(にかもと)辰己氏(71)がこのほど、都内で開催されたトークイベントでエピソードを語った。

 二家本氏はTBS系特撮番組「ウルトラマンレオ」(74-75年放送)でスーツアクターを務め、俳優として日本テレビ系ドラマ「太陽にほえろ!」や「西部警察」シリーズ、松田さん主演映画「野獣死すべし」(80年)などに出演後、「ア・ホーマンス」で殺陣師デビュー。その後も北野武監督の映画「座頭市」(2003年)や「首」(23年)、テレビ朝日系の人気ドラマシリーズ「相棒」などにも携わってきた。この日のイベントでは作家・映画監督の山本俊輔氏、ライターの佐藤洋笑氏を聞き手として、秘話を語った。

 「ア・ホーマンス」の撮影前、二家本氏は松田さんから「レディ・ジェーンに来い。みんなで話してるから』と電話を受けた。その店は演劇や音楽の街としても知られる東京・下北沢のジャズバー(75年1月開店)で、松田さんも常連だった。

 松田さんと出演俳優3人、二家本氏の計5人が集った“決起集会”的な場において、突然、松田さんが発した言葉に他の4人は耳を疑った。

 「これから、銀行を襲う」

 不意な“謎かけ”に「えっ?銀行って…」「この5人で襲うんですか?」と戸惑う俳優たちをよそに、松田さんは言葉を継いだ。「映画という銀行だ」。従来の映画スタイルを“銀行”に例え、それを「襲う」(壊す)ということだったのか。いずれにしても、新たな「挑戦」への意思表示だった。

 二家本氏は「それから、優作さんはその場にいた者に語りかけ、その優しい言葉に打たれて僕は下を向いてしまった。優作さんから『顔上げろ、お前。いいから、上げろ』と言われて、涙を流しながら顔を上げたら、優作さんは『それでいいんだよ。お前、それ(涙)忘れんなよ』と。その時のことはずっと心に残ってますね」と証言した。

 “レディ・ジェーン伝説”は続いた。

 二家本氏は「ある時、先輩俳優と2人でお店に行き、ふっと気配を感じて、後ろを振り向くと、優作さんがおられて手招きされた。『二家本、ここではなんだから、裏、行こうか』と声を掛けられ、『これはボコられるな』と思ったし、居合わせたみんなも『二家本がやられる』という雰囲気で思わず立ち上がった。覚悟して“裏”に行くと、そこで初めてサングラスを取った優作さんが『お前よ、仕事やってるのか?もし、なんかあったら俺に電話しろ。何とかなるから』と。僕は『そうですか、ありがとうございます』。ただ、それだけだったんだけど、優作さんに『裏、行こうか』と呼ばれてからの時間の長かったこと」と笑顔で振り返った。

 そんなドラマもあった「レディ・ジェーン」は来年4月での閉店を公表し、50年の歴史にピリオドを打つ。失われていく時代の記憶。二家本氏はその一断片を生き証人として語った。

 二家本氏は「優作さん出演作で一番印象に残った作品」として、遺作となった米映画「ブラックレイン」(89年)を挙げた。

 「優作さんからは『間(ま)』を取ることで、セリフがなくても意味が出てくることを考えろと言われた。『殴る』だけじゃない。体を使わなくても『目』だけで表現する暴力もあると。『ブラックレイン』で有名になった優作さんの『振り返りシーン』はまさにそう。言葉はいらない。本当に自分がやりたいことを『ブラックレイン』で初めて見せていただいたような気がします」

 今も都内にある松田さんの墓前に手を合わせる。「この前も行きました。『この世界、なめんなよ』という優作さんの言葉が聞こえてきました」

 周囲の仲間が松田さんのベルトや服などを遺品として受け取る中、「二家本は何もらった?」と聞かれた時、「自分は『ここ』をもらいました」と胸を指しながら答えたという。「それが今の俺になっている。形のあるものは壊れるけど、胸に入ったものは絶対に壊れない。一番の宝物です」。そう言って、二家本氏はそっと胸を押さえた。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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