63年の歴史に幕…福山競馬を振り返る

 福山市の福山競馬が24日、63年の歴史に幕を閉じた。1949年に戦後復興の財源確保として開設され、市民の娯楽の場として愛されていたが、近年は赤字が続いていた。中国地方唯一の競馬場の存続に向けて活動していたが、開催困難との理由で今年度いっぱいでの廃止が決定していた。大勢のファンが廃止を惜しんだ福山競馬の歴史を振り返る。

 24日の福山競馬場ラストデーには、全盛期をほうふつさせる1万273人の来場があった。馬券販売機や飲食店の前には長蛇の列ができ、スタンドにも所狭しと人が並んだ。

 20年間、予想屋として福山競馬に携わってきた原口義隆さん(70)は「福山競馬の全盛期を思い出すような光景。毎回これだけの人が入ってくれていたらね…。もう少し集客のやり方はあったと思うだけに悔しい」と、廃止にうっすらと涙を浮かべた。

 福山競馬場は戦後復興財源を確保するために、1949年に始まった。“福山最強馬”と言われたローゼンホーマや、アサリユウセンプーなどの出現もあり、売り上げは右肩上がりで上昇。78年度には福山市の一般財政へ33億5000万円を計上し、繰出金総計は411億円と多大なる貢献をした。羽田皓(はだ・あきら)福山市長は「戦後の復興整備に大いに貢献してくれました。ありがとうと言いたい」と感謝の意を示した。

 ただ99年度に初めて単年度赤字を出すと、その後は下降の一途をたどった。晩年には“中年の星”と言われた地方最多勝馬のモナクカバキチ(55勝)という話題性のある馬が出現したが、低迷は続いた。最終的には累積赤字は約19億円に膨れ上がり、24日に廃止となった。

 騎手会長を務めた黒川知弘は「正直、もう少し馬に乗っていたかった気持ちです…。同じ地方競馬場には同じ思いはしてもらいたくないですね」と悔しさをにじませた。

 所属騎手の3分の1は黒川同様に廃業へ。リーディング上位の三村展久や佐原秀泰は南関東へ移籍し、紅一点の女子騎手の下村留衣は高知へ本拠地を移す。福山最終レースを制した三村は「福山で培った経験を生かしたい。みんなの気持ちも背負って頑張ってきます」と“福山魂”を胸に新たなる一歩を踏み出す。

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