【共同通信杯】サクセサー師の有終飾る
「共同通信杯・G3」(15日、東京)
畠山重師は今月いっぱいで定年を迎える。共同通信杯のマイネルサクセサーが最後の重賞出走だ。同馬は昨年9月の札幌2歳S以来の出走。「お膳立てしたくれた関係者に感謝。ベストを尽くす。それしかない」と気を引き締めた。
悲喜こもごも、時に運命のいたずらに翻弄(ほんろう)された足掛け36年の調教師人生だった。開業翌年の1981年にハセシノブが新潟記念を勝ち初重賞制覇。同馬は続くオールカマーも勝った。当時の最強馬ホウヨウボーイが、前を行く牝馬のハセシノブを気にして抜こうとせず、5着に敗れたという逸話が残っている。
85年には競馬史に残る大騒動に巻き込まれた。シリウスシンボリの故和田共弘オーナーが、他厩舎の岡部幸雄元騎手への乗り代わりを要求。故二本柳俊夫調教師が「弟子の加藤和(現調教師)を乗せるのが嫌なら持ってけ」と激怒し、畠山重厩舎に転厩させた。調教師会が仲裁に入ってなんとか元のサヤに収まり、同馬は加藤和騎手でダービーを制した。今となっては、「あの時は本当に切ない思いをしたねえ。それにしても、二人ともスケールの大きい人物だった」と言う懐かしい思い出だ。
「トータルではいい時代を過ごしたと思う。悔いはないよ」と無欲で挑むラスト重賞。マイネルサクセサーは札幌2歳Sで11着に敗れたが、レース中に左前肢を外傷したのが敗因だ。未勝利、コスモス賞を連勝した実力馬。アッと言わせる快走があっても驚けない。