後藤騎手なぜ…前夜FBに笑顔の写真
JRAの後藤浩輝騎手=美浦・フリー=が27日朝、茨城県阿見町の自宅で死亡しているのが見つかった。40歳だった。首をつった状態で発見されており、自殺とみられる。同騎手は26日の午後8時12分に自身のフェイスブックを更新し、笑顔の写真をアップ。この週末も中山競馬場で騎乗する予定だった。現役トップジョッキーの謎の多い突然の死に、競馬界は驚きと深い悲しみに包まれた。なお、遺族の意向で葬儀は密葬で営まれる。
競馬界に衝撃が走った。後藤騎手が自宅脱衣所で、首をつった状態で見つかったのは27日午前8時ごろ。発見した妻でタレントの湯原麻利絵さんが119番通報し、救急隊員が駆け付けたが、既に息を引き取っていたという。牛久警察署の酒井吉孝副署長は「事件性はないと判断しています」と自殺とみていることを明かし、「遺書の有無に関しては話せません」と説明した。
後藤騎手は頻繁に自身のフェイスブックを更新し、ファンとの交流を図っていた。前夜の26日の午後8時12分にも更新し、栃木県・那須塩原のホテルに宿泊して宇都宮アキラの歌謡ショーを見たことを「ズン!ズンズン ズンドコ ア・キ・ラ~~ッ!!ってやってきました」と絵文字入りのコメントと、笑顔の写真で報告。この週末も中山競馬で計15鞍に騎乗を予定していただけに、まさに突然の出来事だった。
関係者は訃報を驚くとともに、その原因らしい原因が思い当たらず、一様に困惑した様子を見せた。デビュー時に厩舎に所属し、師匠にあたる伊藤正徳調教師はまな弟子の自宅を訪れ、「先々週、一緒にご飯を食べたが、いつも通りで変わった様子はなかった」と首をかしげる。
近年は落馬による負傷が続いていた。12年5月6日のNHKマイルCで他馬の斜行の影響を受けて落馬。同年9月8日に復帰した初日にも落馬するなど、度重なる大けがに見舞われたが、それを乗り越えて14年11月24日の東京5Rで復帰Vを挙げた際には、G1レース並みの大歓声を浴び、「やっぱり最高ですね。(リハビリなどの)苦しみを一瞬で乗り越えられた」と笑顔を見せていた。先週21日の東京11Rでも落馬。何度も痛めていた頸椎を捻挫して心配されたが、翌日の京都競馬で騎乗して2勝を挙げた。
前夜に更新したフェイスブックには、2000件を超える悲痛なコメントが寄せられた。ファンに愛された現役トップジョッキーの突然の死-今週末は大きな喪失感のなか、競馬が開催される。
◆後藤 浩輝(ごとう・ひろき) 1974年3月19日、神奈川県出身。92年3月に美浦・伊藤正徳厩舎所属として騎手デビューし、94年福島記念(シルクグレイッシュ)で重賞を初制覇した。96年に単身渡米し半年間の武者修行。その成果で関東トップジョッキーとしての地位を築き、02年安田記念(アドマイヤコジーン)でG1初制覇を飾った。明るいキャラクターを生かしてタレントとしても幅広く活動していた。JRA通算成績は歴代16位、現役10位となる1447勝(うちG15勝を含む重賞53勝)。