武邦彦さん死去“ターフの魔術師”JRA通算1163勝

 突然の訃報だった。元JRA騎手、調教師の武邦彦氏が12日午前1時26分、滋賀県の済生会滋賀病院で病気のため亡くなった。77歳だった。武豊騎手(47)、武幸四郎騎手(37)=ともに栗東・フリー=の父として知られ、騎手としてはJRA通算7679戦1163勝。“ターフの魔術師”“名人”などの異名を取った。葬儀・告別式は15日に関係者で執り行われる。

 今でこそ豊(三男)、幸四郎(四男)の父として知られる武邦彦氏だが、現役時代は関西を代表する騎手として輝かしい実績を残した。京都府出身(生まれは函館)で57年にデビュー。才能の開花には時間を要したものの、デビュー15年目、72年の桜花賞(アチーブスター)でのG1級競走初勝利を皮切りに一気に一流騎手へのし上がった。

 約1カ月後には、ロングエースを駆って大胆に仕掛けを遅らせた騎乗でダービーを制覇。歴史に残る大接戦となったランドプリンス、タイテエムとの“3強対決”を制し、ダービージョッキーに。翌73年の菊花賞では、負傷した嶋田功の代打でタケホープに騎乗し、あえて離れた大外を回る奇策で逃げ切りを狙ったハイセイコーを差し切った。74年には、この年から導入された単枠指定制度が初めて適用されたキタノカチドキで、皐月賞と菊花賞の2冠を制すなど、プレッシャーのかかる大一番で勝負強さをいかんなく発揮した。

 172センチの長身をきれいに折りたたんだ、しなやかなフォーム。繊細なアクションで馬を御す姿を詩人の志摩直人が「絹糸一本で馬を操る」と評し、同じく詩人の寺山修司が「子供時代に見た『手品使い』の男を思い出す」と表現した華麗な騎乗ぶりで“ターフの魔術師”と呼ばれた。

 初コンビとなった76年の有馬記念で勝利に導いたトウショウボーイでは重賞を3勝。2着に敗れたものの、ライバル・テンポイントとスタートからマッチレースを演じた翌年の有馬記念の激闘は、日本の競馬史に残る名勝負として語り継がれている。

 当時は関西所属騎手が関東の名馬への騎乗依頼があることは珍しい時代で、それほど関係者の評価は高かった。80年には関西所属で初の通算1000勝を達成し、85年の騎手引退までにJRA通算1163勝。円熟期の約10年間がちょうど福永祐一の父で“天才”とうたわれた福永洋一の活躍期と重なり、リーディングこそ獲っていないが、時代を彩った名ジョッキーだった。

 87年に調教師へ転身後は、バンブーメモリー(89年安田記念、90年スプリンターズS)やメジロベイリー(00年朝日杯3歳S)などを管理。引退後はテレビなどで解説者を務め、この春もスポーツ紙でG1の解説を担当していた。

 騎手、調教師、そして武兄弟の父として-日本の競馬を語る上では欠かせない存在だった。

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