目指せ年収2億円!脱サラボートレーサー奮闘中 三浦敬太はピアノ調律師から転身

 昨年末のSG・グランプリ、インから逃げた峰竜太は、1分47秒1で1着ゴールし、優勝賞金1億円を獲得した。それまでの獲得賞金1億240万円を加え、2018年の年収は2億円を超えた。ケガの危険もある。リスクはあっても、ボートレーサーの魅力は何といっても高収入。サラリーマンを辞め、ボートレース界に飛び込んだ“脱サラレーサー”は意外と多い。三浦敬太(31)=東京・110期・A2=はピアノ調律師から、向井田真紀(31)=広島・113期・B2=は保育士から勝負の世界へ転身し、目下奮闘中だ。

  ◇  ◇ 

 最初に選んだ仕事はピアノ調律師だった。三浦は、高校卒業時、大学進学を含め、明確な目標がなかった。さまざまな選択肢の中から「好きなピアノに携われる仕事がないか」と考え、見つけたのが調律師の仕事だった。

 ピアノとの出合いは三浦が3歳の時。小学校3年まで約6年間続けたが、その後は少し離れていた。「習っている時は嫌だったが、自分の好きな曲だけを遊びでやってるのは好きで、これを仕事にしようと思った」と、ようやく自らの進む道を見つけた。

 高校卒業後は、河合楽器製作所の調律師養成所に入所。1年の養成期間を経て、ピアノ調律師となった。しかし、調律師の仕事をして2年がたち、周りが見えてきた時に「このまま定年まで続けるのはどうか」という疑問が出てきた。元々は職人を目指していた三浦だったが「調律師の仕事は良かったが、求められるのは営業利益。給料面でも、同じことや、それ以上の仕事をしても大卒とは差がある」と不満を感じだしていた。そんな時に見つけたのが高収入のチャンスもあるボート選手だった。

 「母親には反対されたが、最後は了承してくれた。やると決めてからはワクワクして仕方がなかった」と振り返った。4年在職した河合楽器を辞め、23歳だった2011年4月に、110期生としてやまと学校(現・ボートレーサー養成所)に入所し、1年間の養成所生活を経て、無事ボートレーサーとなった。12年5月にデビューし、17年6月の鳴門一般戦で初優勝。昨年7月には平和島でのG1戦に初出場。9月のびわこG1戦では1着2回。今や、強豪ひしめく東京支部でも若手有望株の一人だ。

 高収入にあこがれてこの道に進んだ。「お金を稼ぎたいと思う人にはいい仕事だと思う」と高収入が魅力なのは確かだ。ただ「浮き沈みがある。すごくやる気がなくなる時もある。それを努力に変え、調子のいい時に少しでも上を目指すのがレーサーとして一流じゃないかな。できるのか分からないが目指すのはそこです」。

 前職とはまったく違う仕事に就いたが「転職の定義が分からないので、成功かどうかは分からないが、適職には就けたと思う」。自信を持ってそう答えた。

 ◆三浦敬太(みうら・けいた)1987年5月20日生まれ。北海道旭川市出身。旭川凌雲高校卒業後に、(株)河合楽器製作所で4年間勤め、2011年4月にやまと学校(現在のボートレーサー養成所)に110期で入所。12年5月に平和島でデビュー。17年6月鳴門一般戦で初優勝。18年7月平和島周年でG1戦デビュー。身長165センチ。生涯獲得賞金額1億272万4800円(28日現在)。

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