ディープインパクトが負けた日 日本中が驚いた史上最強馬初黒星の裏側
2015年12月26日。1面と終面の連版で扱うのは、よほどの出来事。しかも阪神タイガース以外となれば、なおさらだ。2005年の菊花賞を圧勝し、シンボリルドルフ以来21年ぶり、史上2頭目となる「無敗の三冠馬」となったディープインパクトが同年暮れの12月25日の有馬記念に出走。単勝1・3倍の断然人気を集めながら2着に敗れた。関東から出張し、同馬が調整する栗東トレセンで週中に取材に当たった和田剛は、何とも言えない違和感を抱いていた。
出張先に到着するなり、耳を疑うような言葉が飛び込んできた。「あしたは大変やで。ディープ陣営が出走取消の会見をするかもしれん。風邪をひいたってうわさや」
当時の中央競馬は完全な西高東低。G1レースでは、関西馬が調整する滋賀県の栗東トレーニングセンターへ、関東の記者が出張して取材に当たるのが当たり前になっていた。
無敗の三冠馬となったディープインパクト一色の2005年有馬記念が行われるその週も、水曜早朝に行われる最終追い切りに備えて前夜に栗東入り。マスコミ関係者が宿泊する「愛駿寮」の食堂では各社の先輩記者が酒盛りの真っ最中だった。そこで聞こえてきたのが、冒頭の言葉だ。
結局、翌朝に何事もなかったかのようにディープは追い切りを行い、陣営は不安なしを強調した。翌日の各紙には「満点」「不安なし」の見出しが躍ったが、あの言葉を聞いていたからだろうか、騎乗した武豊の「(前走の)菊花賞の時が良すぎたから、ちょうどいい」という物言いが引っ掛かっていた。
改めて今、当時の調整を振り返ると“ドタバタ感”は否めない。当初は木曜に最終追い切りを行う予定もあったが、雪予報を受けて水曜に前倒しをした。しかも栗東DWでマークされた全体時計は6F83秒3。ダービー出走時の最終追い切りでマークした同78秒0、菊花賞時の同80秒8と比べても明らかに手ぬるい内容だった。
予報通りに吹雪となった木曜は坂路調整でなく、プールでの調整に。そして“違和感”を決定付けたのが異例の金曜追いだった。ダートコースで6F82秒8-12秒0。前日の雪の影響で締まった馬場状態だったとはいえ、中1日での、そしてレース前々日の微調整としては明らかに時計が速すぎた。陣営は決して不安説を認めようとしなかったが、いつもと違う調整になったことは間違いない。
誤解のないように書いておくが、出張で来ている記者が感じるぐらいなのだから、よほど鈍感ではない限り、誰もが違和感を抱いていたはずだ。もちろん調整の狂いを指摘する記事もちゃんとあった。一方で馬自身が「実はしんどいねん」としゃべるわけもなく、陣営は順調ぶりを強調。何より「少しぐらい調整が狂っても、あのディープが負けるわけがない」という論調が記者の間でも占めていたような気がする。
果たして、ディープは追い込み届かず2着に敗れた。史上最強馬の初黒星に、詰め掛けた16万人を超えるファンのため息が中山競馬場を包み込む。武豊は勝ち馬の強さをたたえつつも、「なぜかきょうは“飛ばなかった”。全力を出し切って負けてはいない」と首をひねった。
勝ち馬ハーツクライに騎乗していたのは、当時26歳のルメール。今や日本競馬を席巻する彼にとっての日本G1初勝利だった。もちろんこれまでは追い込み脚質だったハーツクライを先行させ、番狂わせを演じた好騎乗が「勝因」の一つであることは否定しない。一方で武豊の言葉通り、最後の直線の走り、伸びはいつものそれではなかったように、ディープの体調面も間違いなく「敗因」だったと思う。
筆者はディープに◎は打たず、▲評価に落とした。本命に推したのは、この一戦での引退が決まっていたゼンノロブロイ。今思うと、普段から取材をしていた関東馬のエースに肩入れする甘い予想だった。結果は8着。ディープは危ないと思っていただけに、スケベ心を抑えることができなかった。ロブロイの単勝を中心に突っ込んだ馬券の総額は、1カ月のサラリーを優に超えていた。(デイリースポーツ・元中央競馬担当 和田剛)