名伯楽・藤沢和師に大きな影響を与えたカツトップエース 1981年日本ダービーを振り返る
これまで数々の名場面が繰り広げられた競馬の祭典「日本ダービー」。中でも1941年セントライト、51年トキノミノルなど、“○○○1年”の開催では印象に残る名馬、ドラマが誕生した。この連載では、1971年から2011年までの5回にスポットを当てる。第2回は81年、鼻差で2冠制覇を成し遂げたカツトップエースの陣頭指揮を執っていた藤沢和師に、当時を振り返ってもらった。
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81年ダービーは、ブービー人気で皐月賞を制したカツトップエースが、鼻差で2冠制覇を成し遂げた。陣頭指揮を執っていたのは、助手時代の藤沢和師。闘病中であった菊池一雄調教師の代役を務めた。「うれしかったですよ。いい思い出です」と当時を懐かしむ。
皐月賞馬でありながら、当日は3番人気という評価。その理由の一つに『距離』があった。日本では当時、イエローゴッドの産駒はスピードタイプが多かった。しかし、気鋭・藤沢和助手は2400メートルの距離をこなせる手応えがあったという。
「英国修業時代に見た、ヘブンノウズという牝馬を思い出しましたよ」
ヘブンノウズは英国での師匠プリチャード・ゴードン師の兄が所有していた馬で、2400メートルの重賞を勝った実績がある。父はイエローゴッド。スピード色が強いこの血統から長距離馬が出るのなら、カツトップも問題ない。「距離が延びても大丈夫だと思いましたね」。結果として、このジャッジは正しかった。
64年シンザン以来の3冠馬となるチャンスを手にしたものの、夏に屈腱炎を発症。そのままターフに戻ることはなかったが、予想を上回る走りでファンを驚かせた2冠馬は、のちの名伯楽に間違いなく大きな影響を与えた存在だった。