暗い世の中に一筋の強い光を放ったオルフェーヴル 2011年ダービーを振り返る
これまで数々の名場面が繰り広げられた競馬の祭典「日本ダービー」。中でも1941年セントライト、51年トキノミノルなど、“○○○1年”の開催では印象に残る名馬、ドラマが誕生した。この連載では、1971年から2011年までの5回にスポットを当てる。第5回は未曾有の危機に見舞われた11年。不良馬場を力強く踏み締め勝利し、暗い世の中に一筋の強い光を放ったオルフェーヴルについて、主戦の池添謙一騎手に当時を振り返ってもらった。
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東日本大震災という未曽有の危機に見舞われた2011年。そんな暗い世の中に、一筋の強い光を放ったのはオルフェーヴルだった。
主戦の池添が当時を回顧する。「中山と福島が開催できなくて、皐月賞も東京でしたからね。(電力事情のため)東京も地下馬道や調整ルームが暗かったのはよく覚えています」。皐月賞こそ4番人気だったが、3馬身差の快勝でまず1冠。一気に世代最強を印象づけ、ダービーでは堂々の1番人気を集めた。
季節外れの台風接近の影響があり、あいにくの不良馬場。「嫌でしたね。ただ、人間の方がそう思うだけで、オルフェーヴルは問題なかったです」。直線で窮屈になるシーンもあったものの、泥んこ馬場を力強く踏み締め、鮮やかに抜け出す。2着ウインバリアシオンとは1馬身3/4差だったが、力の違いは明らかだった。
皐月賞ではあえてガッツポーズを自重した池添だが、万感の思いを込めて府中の曇天に人さし指を突き刺した。
「あの頃、ファンの方から、オルフェーヴルに元気をもらいました、という手紙が来ました。うれしかったですね」
-あれから10年。再び災厄から立ち直ろうとする人々を、その走りで勇気づけてくれるスターが誕生するかもしれない。