【日本ダービー】シルク・米本代表「クラブとしての悲願」熱い思い インタビュー
「日本ダービー・G1」(29日、東京)
皐月賞2着のイクイノックス(美浦・木村)、毎日杯を制したピースオブエイト(栗東・奥村豊)と、有力馬2頭を競馬の祭典に送り出すシルクレーシングの米本昌史代表が、ダービーにかける熱い思いを語った。既にアーモンドアイで牝馬3冠を達成しているが、まだ牡馬クラシック制覇には届いていない。22年は抜けた存在が見当たらず戦国ムードが漂うだけに、同代表は悲願達成へ大きな期待を寄せている。主な一問一答は以下の通り。
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-まず、シルク・ホースクラブで募集した現3歳世代全体の印象は。
「所属馬の半分は勝ち上がらせることを毎年の目標にしているのですが、今時点(5月15日)で、この世代の勝ち上がり率は40%を越えています。もちろん、個々の馬を振り返った時にいろいろ反省点はあるのですが、全体的で見たらいい数字で来ているかな、と思っています」
-新種牡馬の活躍がめざましい。
「特にキタサンブラック産駒の活躍が目立ちましたね。所属馬の6頭中5頭が既にデビューしていて、そのうち4頭が2勝目を挙げています」
-そのキタサンブラック産駒イクイノックスをダービーに送り込む。募集時の印象は。
「抜けて良かったというわけではなく、雄大な馬体だった父の特徴が出ていた中の一頭でした」
-デビュー後は最短ステップで出世した。
「本当に毎レース驚かされています。新馬戦でスケールの大きさを感じましたし、次戦の東スポ杯2歳Sも素晴らしい勝ち方をしてくれました」
-年明け初戦が皐月賞になった。直行ローテの理由は。
「東スポ杯2歳Sで上がり3F32秒台の脚を使った反動が結構大きかったのです。コンディションの回復に時間がかかり、12月頭の時点で皮膚病が出ていましたし、背腰にも疲れが残っていました。2月の共同通信杯あたりに使いたい気持ちはあったのですが、あくまで目標はクラシックですから。ダービーに照準を合わせたというのが正直なところです」
-皐月賞は2着。レースを振り返って。
「最初のコーナーで勝ち馬と位置取りが前後したのですが、展開のアヤでイクイノックスが前に押し出されたように、私には見えました。あれがもし逆であったなら、もう一つ上の着順で帰ってこられたのかも…そう思えるくらいの走りをしてくれました」
-王道を歩んでいるイクイノックスだけでなく、3戦3勝のピースオブエイトも駒を進めてきた。
「母トレジャーステイトもクラブ所属馬でした。その母が地方競馬から再転入でJRAに戻ってきた時に、当時開業2年目の奥村豊先生にお預けすることになり、その後3勝を挙げさせてくれました。母を管理して、その子どもを預かるのは(調教師になって)初めてだと聞いていますし、その馬でダービー初挑戦ですからね。先生にとっても、思い入れのある馬でしょう」
-ここまでの競馬ぶりの印象は。
「後ろからでも差すことができるし、毎日杯のように前に行って押し切ることもできる。自在な脚質というか、器用な競馬ができる馬だとみています」
-デビュー後に脚部不安で8カ月も休養。
「そこは心配ありません。アスリートなので。そういった弱いところがありながら、3連勝という形でダービーまで歩を進めてくれたのですから。まだ底を見せていませんし、伸びしろがあるという意味でも本当に楽しみです」
-シルクレーシングはアーモンドアイが牝馬3冠を達成したが、牡馬クラシックは未勝利。
「牡馬クラシックはクラブとしての“悲願”です。最もダービー制覇に近づいたのはブラストワンピース(18年=5着)だったのかな、と個人的に思っているのですが…。サリオス(20年)の2着があるとはいえ、あの時はコントレイルがいましたからね(笑)」
-最後に意気込みを。
「今年のダービーに、こうやって2頭もエントリーできたというのは現場の方々に感謝の思いしかありません。あとは、無事にゲートインするところまで過ごせるように願っています」
◆米本昌史(よねもと・まさし) 1975年1月21日生まれ、47歳。東京都出身。不動産業界で12年半勤め上げ、12年1月にノーザンファーム入社。13年からシルクレーシングに参画し、14年に同代表取締役に就任した。好きなレースはジェンティルドンナとオルフェーヴルが激闘を演じた12年ジャパンC。